「屁放き爺さんよもやま咄」輯
「屁放き先生」と子供達が命名してくれた。世捨て人を気取って毎日を楽しんでいる貧乏爺さんが、好き勝手に喋ってみようとホームページを立ち上げた。子供達の命名に敬意を表して「放屁爺さんのよもやま咄」と題してみた。
「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり・・」と紀貫之は、都に帰還する為に舟に乗り、吉田兼好は「徒然なるままに、日ぐらし硯にむかいて・・・」と都に暮らす日々をエッセイ風に記した。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・」と鴨長明は庵を結び、「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也・・・」と芭蕉は鄙びた地、陸奥へ旅立った。喜撰法師は「我が庵は 都の辰巳 しかぞ棲む・・・」と都を捨てて彼の隠遁の理由を詮索想像する人々を躱し、後白河上皇は「遊びをせむとて生まれけむ・・・」と遊び心を讃えた。
斯くの如く、古の文人達は或る者は旅に出、或る者は庵を結び、或る者は旅だった。心に浮かぶ想いを或る者は日記に記し、或る者はエッセイに、或る者は紀行文に、或る者は歌に詠んだ。
筆者も、喜寿を迎えて京の季節の移ろいに包まれて人生の黄昏を愉しもうと、歴史に名を残す文人や風流人、隠遁人・・・に倣って都の辰巳、石田の地のURに引っ越し来た。URの四畳半に日々の意いや人々との交わり、京を彷徨って心に浮かんだ想い等々を日記に記し、歌に詠み、其れを此のHPに著した。
まあ、「一杯一杯復一杯」と李白を気取って、世捨て爺さんは都の春夏秋冬を愉しみたいと思う。勿論、酒壺を忘れずに!
牀前名月光 疑是地上霜
挙頭看名月 低頭想故郷
”一杯一杯復一杯”
自傷心弱不忘色酒詠詩一篇
(酒色を忘れざる心の弱さを自ら傷みて詠む)
人生已老迎喜寿
(人生已に老いて喜寿を迎える)
未忘六欲陶色酔
(未だ六欲忘れざりて酒色に浸る)
久米故事君知乎
(久米の仙人の故事を君知るか)
覗洗女股失雲墜
(洗濯女の太股を覗き看て雲を失い墜落せしを)
謫仙孤老喰霧霞
(天界を追われし孤老は霧霞を喰らうとも)
不能覚去俗迷飄
(覚め遣らずして俗世の迷いに彷徨う)