日本人は一千八百年以前から何かと理由を見付けては、集まって騒いだようで在る。此れは「魏書倭人条」に載るお噺で在る。当時の中国人が実際に、我が国を歩いて知った諸々の風習に宴会好きな事、死者を弔う夜伽の様、自然と協調する生き方などの雰囲気が満ち溢れる。

  自然との協調する生き方の好い例が縄文時代の日本人で在った。”縄文時代は母系氏族社会で在った”は殆どの学者の一致する見方である。繁殖能力と言うと女性蔑視だと叱られそうであるが、女性には家が与えられ、幼児の子供の世話が認められた。子供が成人したら、家を出た。男は男小屋に共同で住んだ。夜或いは、日中でも女の家で或いは、森の中で交わった。生まれる子供の父親が誰で在るか?は母親でも判らなかったと云う。  丁度、中国の奥地の少数民族・摩梭族が現代も続ける母系社会と同様で在る。摩梭族の結婚は、「女の天下男の天国」と称される通い婚が行われ、生まれる子供は女の一家が育て、男は女の家に通って精子を提供するだけで在るというが、此処では詳しく述べない。兎に角、
  日本人は性に大変、大らかさを以て、対して居た事は「折節のお噺」巻三にも述べた処であるが、・・・・・。

「屁放き爺さんエロ噺」輯

  世界最古の恋物語は日本に生まれた。「源氏物語」の女性遍歴を繰り広げる美しい恋の描写は世界の人々を魅了する。作者の紫式部は石山寺に籠もって物語中の美男子、光源氏と睦み合ったかも知れない。
  隣家の若奥さんの行水を使う裸姿を覗き見て色に目覚め、一生のうちに交わった人数はつまり、”たはふれし女は3,742人。小人(少年)もてあそびは725人”で在ると云う小説「好色一代男」では、主人公世之介の人生を、「源氏物語」の54帖に合わせて、7歳から60歳までの54年間で切り取るなどは日本人の遊び心で在る。因みに、世之介の最期は”女だけが暮らす島、女護ヶ島へ船出して遂には、行方知れず”と、落ちを付ける。

  キリスト教世界の人々が読めば、日本人の性に対する大らかさに失神するかも知れない。事実、多くの春画や美人画が絵師によって描かれ、摺師によって何枚も刷り上げられ、版元の店頭に並べられて江戸の街に溢れた。人々が買い求め、貸本を借りては色小説を読み漁った。
  明治の御代に為って其れ等の好色本や春画が多数、欧米に流れ出て彼の地で大絶賛を博した。特に、春画のデフォルメされた男根は欧米のご婦人方に大いに持て囃されたらしい。手に入れた春画を見て実際に、”日本人男性の男根は途轍も無く、大きい”という噂が密かにアメリカの御夫人方の間に、羨望と共に広がったとも云われる?????。

「久米の仙人エロ談義」表紙

自然との恋、自然への情欲

屁放き爺さんの真面目な「スケベな恋談義」
  入り口は此処だよ~ん。

「エロエッセイ」其の1ー自然との協調、交わりー
             (今昔物語の世界)
「エロエッセイ」其の2ー美青年に恋した白蛇ー
             (中国版娘道成寺)
「エロエッセイ」其の3ー世界を股に掛けた女狐ー
             (玉藻の前と殺傷石)

「屁放き爺さんよもやま噺」輯
大表紙(index.html )へのリンク

春画”デフォルメされた男根への羨望”

「兄は情人、妹は愛人」ー恋は神代の昔からー
   ”古事記に描かれる許されざる恋”

「女王様の悶え」ー女を捨て切れ無かった女王ー
   ”儒教の国の美女王”

愛の狂宴

「閑爺さんエロ噺」巻一”信太の森の・・・”
(eroessey1.html) へのリンク

「神殿売春」その1ー愛と豊穣の神様方
「神殿売春」その2ー女神様の微笑みー
「直来の儀」ー神様が下される美女達ー

「閑爺さんエロ噺」巻五”許されざる恋”
(eroessey5.html )へのリンク
「閑爺さんエロ噺」巻三”女神が下される美女達”
(eroessey3.html) へのリン