「屁放き爺さんのスケベ噺」巻三
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスによると、新バピロニア王国{公元前六二五年〜五八三年}では「神殿売春」が行なわれていたという。公元前五千年頃{一説には公元前七千年頃}に始まると云われるメソポタミア文明、最初の統一国家、シュメール王国{公元前3100年頃〜公元前2000年頃}では既に「聖婚」或いは「神殿売春」と呼ばれる愛の女神に捧げる神事が行われていたという。但し此の時代の「神殿売春」は、豊穣と多産を祈って女性達が女神に捧げる奉仕活動?慈善的な無報酬売春で在った。
新バビロニア王国時代の「神殿売春」では、奉仕の精神は消え去って男性に身体を提供する女性は、金銭の報酬を受けるものになっていた。
豊穣の祈り「神殿売春」
ー愛の女神が下される女達ー
女たちは誰でも一生に一度は、女神ミュリッタの神殿で男なら誰にでも、身を任さなければならない事が制度化された売春で在った。只、神事で在る以上、報酬の額は定められていなかったし、女性が男を選ぶ事は認められなかった。
ミュリッタ女神に捧げる「神殿売春」は、男達は坐っている女達の前を歩いて品定めをし、気に入った女性を選ぶ。気に入った女性には、"女神ミュリッタの御名にかけて、お相手をお願いします"と言い乍ら、女の膝に金を投げる。女は、金を投げて呉れた男とセックスをし、終われば家へ帰る事が許された。女の方から男を選ぶことは出来ず、金が少なくても、嫌な男で在っても最初に金を投げた男の相手をしなければ為らなかったのである。また、此の売春は生涯一度きりの事で、後に大金を払ってミュリッタ女神の神前で交わった女性を再び、得ようとしても許されなかった。
男とセックスをしなければ、家に帰ることは許されないし、女から男を選べない。女性は男性が金を投げて呉れるのを只、待つだけで在った。魅力的な女性には直ぐに金が投げられたが、醜い女性には声をかける男が現われない。此の為、三年も四年も坐り続ける女性もいたという。また、金持ちの女性でも、身分の高い女性でも此の制度から逃れる事は出来なかった。神殿に於ける売春は義務で在ったので在る。高貴な女性達にはプライドが在り、他の女性達と一緒にされるのを嫌がって侍女を伴い、屋根付きの馬車で乗り付ける者も在ったと云う。しかし、其の様な高貴な女性でも多額の金を払う必要は無く、早い者勝ちだったので、高貴な女性には男達は先を争って小銭を投げたと云う。此の様に、バビロニアでは女性にとって見知らぬ男とのセックスが神聖な行為であり、神に対する奉献、祈りの行為とされていたので在る。
愛の女神ミュリッタという呼称はアッシリア帝国以降の名で、古代シュメ−ル人や古バビロニア人はイナンナ女神と呼んだ。アッシリア人や新バビロニア人はミュリッタ女神と呼び、アラビア人はアリラト、ペルシァ人はアナヒタ、ギリシアではアプロディテ、ロ−マはビ−ナスと呼称をした。