「王昭君」{公元前一世紀頃、姓を王、諱を嬙。字は昭君。地元では"昭君”と呼ばれる。荊州南郡(現在の湖北省沙市)出身}は正史「漢書」に記載される存在が肯定される美女で在る。異国に嫁がされた悲劇的なムードを醸し出す宮女として民間説話や小説、京劇の主人公として登場する。

  西漢の元帝の時代に漢に帰属した匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)の求めによって閼氏{えんし、皇后}と為り、呼韓邪単于の死後はレピラト婚{寡婦が、死亡した夫の兄弟や義理の息子の妃に為る匈奴の習慣。最近の日本でも、戦死した兄の妻が弟の嫁と為って家を継承した事が多かった}によって呼韓邪単于の息子、彼女にとっては義理の息子の復株累若鞮単于(ふくしゅるいにゃくたいぜんう)の閼氏と為る。
  王昭君の降嫁に付いては、漢王朝が匈奴を懐柔する為に宮女の贈呈を持ちかけ、其れに選ばれたのが王昭君だったという説もある。

  匈奴に降嫁して以後、王昭君は呼韓邪単于との間に一男を、義理の息子の復株累若鞮単于との間に二女を儲ける。漢族は、"父の妻妾を息子が娶る事は実母との近親相姦に匹敵する不道徳で在る”と見なす道徳文化を持つ為、この二夫に嫁した事が王昭君の悲劇とされ、民間伝承となったのである。

「屁放き爺さん美女捜しのお噺」

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       雑言古詩「王昭君」  李白

漢家秦地月 漢の家秦の地を照らす月は、
流影照明妃 影を流して明妃を照らさん。
一上玉関道 一度、玉門関を上れば
天涯去不帰 天の涯に去りて再び帰らず。

寝惚け旅、巻四の3

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昭君出塞

”明妃西に嫁して再び還らず”

”歴史は美女によって創られる”第三篇

  元帝が醜女を匈奴に輿入れさせ様とした記述には疑問が多い。匈奴は当時の漢帝国にとって最も重要な外交相手であり、その相手に対して敢えて醜い女を渡すという無礼をするとは考えにくい。
  また、王昭君に取っても漢の宮室にいて何時か判らぬ帝のお召しを待つよりも北荻とは云え、単于の閼氏{皇后}の地位に就いて一男二女を儲けた事は幸せで在ったかも知れない。只、馴れない地での苦労は在っただろうが、匈奴の人々も漢の皇帝から贈られた室であり、彼女を粗雑に扱ったとは思えない。彼女の宮女としての才能や起ち居振る舞いは匈奴の人々にとっても憬れで在ったし、漢と匈奴の友好外交にとっても彼女の存在は大きかったと想像されるのである。

  まあ、様々な想像が為されるが、李白が詠み称えた王昭君の雰囲気、京劇「昭君出塞」に演じられる王昭君の凛とした姿を思い浮かべつつ此の美女を偲びたい。

四、昭君出塞(王昭君胡族に嫁す)

漢月還従東海出、漢の月はまた還りて東海に出ずるも、
明妃西嫁無来日。明妃は西に嫁して還り来る日の無し。
燕支長寒雪作花、燕支の長寒、雪花を散らすがに降る、
娥眉憔悴没胡沙。蛾眉は憔悴して砂漠の胡地に没さん。
生乏黄金枉図画、生くる日の黄金乏しく図画の枉り、
死留青塚使人嗟。死して留む青塚、人を使て嗟かす。

  「西京雑記」によると、西漢王朝第十代皇帝の元帝は匈奴へ贈る女性として後宮の一番醜い女性を選ぶため、宮女の似顔絵帳中の一番醜い女性を選ぶことにした。宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いて貰う為、似顔絵師の毛延寿に賄賂を贈ったが、プライドの高かった王昭君は賄賂を贈らなかった為に一番醜く描かれ、匈奴の単于への嫁として選ばれた。匈奴に旅立つ王昭君を初めて見た元帝は、王昭君の美しさに仰天したが匈奴との関係悪化を恐れ、撤回も出来ず渋々送り出したという。その後の調査で、宮女たちから賄賂を取り立てていた毛延寿の不正が発覚し、激怒した元帝は毛延寿を斬首刑に処したという。