「屁放き爺さん三国志に遊ぶ」曹操篇

蔡文姫の巻

「屁放き爺さんよもやま噺」輯
大表紙(index.html )へのリンク

筆者の蔡文姫を偲ぶ下手な詩を一首紹介したい。

 寄願帰雁十余秋   帰雁に願いを寄する十余秋
 贖復千金離子母   贖われ復する千金は子と母を離別させ
 同天隔地如商参   天を同じゅうして地を隔つるは商参の如し
 夢中抱児覚嗚咽   夢中に児を抱きて覚めては唯だ嗚咽
 胡笳悲憤鮮哀傷   胡笳と悲憤詩に込めし哀傷は鮮やかにして
 古今使人涕霑頸   昔も今も人をして涕の頸を濡らしむる

「三国志に遊ぶ」曹操篇輯
(sousouindex.html)へ戻る
「三国志に遊ぶ」輯表紙
(sanngokusiindex.html) へ戻る

ー日本人拉致被害者と蔡文姫の「胡歌十八拍」ー

建安文学を彩った女流文学者・蔡文姫の回復

  曹操は帰還した彼女に命じて編纂途中の東漢の正史「続漢書」を完成させ,、旧友で在った東漢を代表する学者で彼女の父の蔡邕が所有していて、混乱の内に焼失した蔵書四千書の内、彼女が暗誦していた四百余りを再著させたとも伝えられている。此の再著した蔵書は草書{当時の草書は今の楷書}で書かれた。当時の正式書体は篆書或いは、隷書で在った。彼女の書法は、後の書家で政治家の鐘繇が受け継ぎ、隷書と行書の間の書体つまり、鐘繇体が生み出され、六朝文化に影響した伝わる。六朝東晋時代の名書家王羲之は鐘瑶の書法を学んだと云われる。因みに、鐘繇は、巴蜀侵攻将軍として蜀漢を占領し、蜀将羌維と手を結んで魏王朝から独立を画策し、部下の裏切りに遭って斬られる鐘会の父親で在る。
  蔡文姫女史は今日でも多くの「京劇」や「戯曲」の女主人公として活躍?をする。因みに、金星には彼女の名を冠したクレーターが存在すると云う。

  また、多くの「三国志」小説に描かれている悪辣非道、悪魔の様な権力者・曹操の実際は文学を愛し、自身も多くの優れた詩を残した文化人曹操の一面を知ら使める心温まる逸話で在る。
  日本の指導者達も、北朝鮮に「拉致被害者の返還」を只、お願いする会談に臨むので無く、曹操の為した様な思い切った、金じょうんが驚愕するぐらいの金品や援助を提示して、拉致被害者全員を買い戻す位の度量が有っても好いのでは無いだろうか???
  此れは無責任な世捨て爺さんの独り言ではある・・・・・・・・。

  東漢末の建安年間は文学を始め、文化が花を開かせた時代であった。漢王朝の権威が弱まって乱世が続いたが、建安時代に為ると曹操の治下、平和が取り戻されつつ在った。詩人で在った曹操の庇護下に、阮籍や嵆康等の「竹林の七賢」と呼ばれる幽人達、孔融、や陳琳、王粲等の建安七士と呼ばれる文学者更には、曹操と息子の曹植、曹丕等の今に名を残す多くの文化人を輩出した時代で在った。此の頁の主人公、蔡文姫も彼等と共に活躍をした大女流文学者で在った。本題に戻る・・・。
  今から約千八百年昔の東漢時代の末、奸臣董卓の被暗殺によって箍の外れた彼の私兵、胡族の兵等は首都長安付近を荒らし回っていた。殺した男の首は鞍にぶら下げ、掠った女等は檻馬車に乗せて戦利品として彼等の棲息地、砂漠の荒れ地に帰るので在る。女を掠うのは、売って金を得る為或いは、子供を産ませる為で在った。此の騎馬民族の風習の例が、蒙古帝国の創始者チンギスハーンで在る。彼は蒙古族の父親の血は受け継がず、キルギス族に掠われた母が拉致先で身籠もり、彼女を取り戻した蒙古族の父の跡継ぎとして育てられ、大帝国を建設する事に為るので在る。余談では在るが、騎馬民族の一派、北朝鮮が拉致して自らの子として育て、国民とする事は騎馬民族の風習に沿ったもので在ろうか??今日では此の様な、他国の国民を拉致するなど、決して許されざる行為では在る。
  此の拉致された女の中に、建安文学に燦然と輝いた才媛、蔡文姫も居たので在る。彼女は匈奴族の左賢王
{皇太子}に買われて彼の室と為って二人の男児を産む。  拉致されて十二年、時の権力者漢王朝の丞相、曹操は彼女を買い戻す為に、国境に大軍を配置して金千両と更に、高価な璧玉や絹織物を左賢王に送って買い戻され、故国に帰還する。故国に帰る事が出来る喜びと二人の幼子と離別せねば為らない複雑な心境を見事に詠み著した詩「悲憤詩」二題が、彼女の作が疑われる「胡歌十八拍」と共に残っている。
  文姫は詩以外でも活躍を見せ、東漢末の女流大文学者として曹操や曹植、竹林の七賢人等と共に文学を大いに盛り立てて建安文学を築き上げた事は前に述べた。男尊女卑の封建時代に在ってこれ程の活躍の名を残したキャリアウーマンは珍しいと云わねば為らないしまた、旧友の娘とは云え、彼女の才能を惜しんで千金を費やし、国境に軍を配置してまでして、彼女の才能を取り戻した曹操も賞賛されねば為らない大政治家で在ったと云う事で在る。