「屁放爺さん折節のお話」
  庭園出口近くに設えられた茶室は「又新亭」の竹垣は節から出ている枝を二本、切り揃えて残したもので現代風に言えば「有刺鉄線で囲われ」て侵入者を防ぐ事???に迄、「美とゆかしさを求めた古人の遊びの心」と筆者は捉えた。
  御所の庭漫遊、迎賓館参観・・・、色々在ってさすがは京都。古都の夏往き 秋来たる近し。そう言えば、御苑の叢には早や、萩が咲き群れていた。

   叢に 萩の薄紅 花の手を 伸ばすあり見ゆ 秋来たるらし 
   庭漫遊 御殿徘徊 様々に 京を愉しむ 久々妹と



  帰路、ホテルおおくら京都ホテルの経営するカフェテラス「りょうい」で一服。此処は角倉了以が開いた伏見に繋がる運河高瀬川の「一の舟入り」の裏奥から安土桃山時代の港湾施設を眺めながら、喫茶を愉しむ事が出来るカフェである。休み終えて木屋町筋に出、高瀬川沿いに三条京阪駅に向かう。今度は了以の一の舟入を正面から眺め、「彼処でフレンチトーストを喰った処や」・・・。
   高瀬川 了以の舟入を 喫茶店に 眺めつ食ひぬ フレンチトースト 

  京阪電車で堺に帰る妹を見送って我々は地下鉄へ。「泉ちゃん、二時間くらい掛かるんだね」と女房。「俺は学生時代、二時間かけて毎日学校へ通ったんや」、「あんたの場合、学校へ通ったんじゃ無く、ラグビーに通ったんでしょ」と手厳しい。「そう言えば、講義なんかに出た事、無かったなあ」。「だから、合宿で近道をして殴られるんだよ」・・・・「泉ちゃん、喜んで呉れたでしょうか?」。「まあ、喜んでたんと違(ちや)うか?」・・・。地下鉄は家に近くの停留所に着いた。   
  午後は「仙洞御所」拝観で在る。仙洞御所とは退位為された上皇のお住まいの事で、皇太后のお住まいが大宮御所で在る。度重なる火災で仙洞御所は焼失し、現在は大宮御所の建物が、天皇や皇太子夫妻の入洛時や海外の王室の宿泊に供せられるとの事で在る。ダイアナ皇太子妃やチャールズ皇太子も逗留されたとか。
  仙洞御所の拝観は庭園を廻遊するのみで建物内は入る事は許されない。しかし、此の庭園はさすがに、美の探求者として名高い後水尾上皇の作庭が基に為っているとの事で素晴らしいもので在った。特に園内の楓の木の多さは、「秋こそ好けれ」と秋を好んで愛でたいにしえの大宮人の好みを彷彿とさせるもので在る。
  大池は南北二つの池が有って船遊び、紅葉狩りを上皇方は楽しまれたといわれるが、筆者には北池に付録の様に、隠る様にひそと、木の葉に隠れている吾(あ)古(こ)瀬(せが)淵(ふち)と名付けられた小池が筆者には気に為った。淵の脇山には「紀貫之旧宅跡」の碑が、御所の歴史を語る。
   貫之の 館跡とふ 丘と淵 古今(集)の御代を 偲びて径行く
   緑する 淵の水面に いにしへの 歌人想はす 丘の碑 


  更に、進むと北池を見渡す池邊の路、向こう側に紅葉の木が植わる南池との境を為す森群を眺める。其の森群の小径を南池に向かう。南池は、桜が植わる海辺を表す「州浜」に置かれる丸石と李白の詩額が掲げられた「醒花亭」と呼ばれる御茶屋は煎茶を味あわれた茶屋という。花に醒めるとは酒を好んだ李白、庭園を廻った酔いを冷ます中国茶を愉しまれて桜を愛でた様が偲ばれる。李白の詩は明代の名筆家郭子章の筆に為ると云う。
  李白の詩は下記の如くで在るが、何とか此の拓本を読み下してみたい。

  「夜来月下臥 醒花影零亂 満人襟袖疑 如濯魄於水壺」
                   唐李白題 明郭子章書題・・・・・
 

   郭筆白詩 掲額をく茶屋の 花並木 大宮人ら 州浜に憩はむ
   醒花亭 郭筆李白の 詩額あり 大宮人の 茶呑む洲浜 
其処には藤棚(歓迎の花言葉)を中心に数多の華が咲き乱れ、日本の自然が最高の美を奏でる晩春から初夏の風情を見せ、床に敷かれた絨毯は段通に描かれた花々の花びらが散り敷く様を意匠に凝らしているという。
  和式の晩餐会が行われる「桐の間」の天井板は樹齢200年以上の吉野杉が貼られている。「此れだけの真っ直ぐな節の無い杉を見付けるのに苦労した」は以前、テレビ放映された時の木材切り出し業者の話で在る。「此れや!と思っても棟梁は"あかん”と一言やねん」と笑って居られた。座敷机が和室に黒漆を輝かせている。控えの間では、琴などの管弦が催されて賓客をもてなす。
  筆者も旧知の江里康慧佛師の奧さんで、人間国宝の故江里佐代子女史の戴金作品も拝観した。「大広間に設えられた舞台の大段張(幕に代わる) に手鞠をモチーフにした作品、和室の欄間は表と裏に「太陽と月」を表現した戴金作品で「永遠に、若くして亡くなった江里佐代子の作品として残された迎賓館を飾る戴金」芸術を改めて眺めさせ、若くして異国に無く為られた女史を偲ばせる。

   日本の 匠ら競ひて 凝らす意匠 御殿に燦めく 其の美に唖然
   只感嘆 迎賓館に 現代の 匠等極めし 技技技に
  
  迎賓館を廻遊する大池に架かる渡り廊下の梁にはコオロギと蝶、トンボと鈴虫という秋の池辺の散歩をモチーフした意匠が凝らされ、池面は「根引き草」が生い、水中には錦鯉の大魚が悠々と泳ぐ。感激の迎賓館散策で在った。
  大阪から妹の泉を誘って迎賓館と仙洞御所を見学する。泉と三条大橋袂で落ち合い、ブラブラ散歩しながら河原町に出、市バスで京都御苑に向かう。三条大橋の古い木製の欄干に手を置いて鴨川を見ているとトンボがフラフラと目の前を飛び回る。やがて、筆者の手の指に羽を休めて止まって動かず、休んでいる様で在る。「京のトンボは奥ゆかしいなあ」と言うと妹がすかさず、「お兄ちゃんの手が黒いから、橋桁と間違えたんやわ」・・・何か、今日の両名所の見学の瑞兆の様に思える出発と為った。

  京都迎賓館はさすがに、京都を訪れる海外の要人が団欒や宿泊、晩餐会やお食事を為さる処で、各所に日本文化の粋を極め、当今の日本最高の職人其れも、人間国宝に列せられる様な方々が、其の匠振りをあまつさえ発揮されて意匠を凝らせた最高の美術品で飾られた建造物で甚く感激を及ぼされた。客殿の大広間「夕映えの間」は東西両壁に日本画を下絵とした綴れ織りが、西に愛宕山の夕陽、東に満月に映える比叡の山という京の都を象徴する風景が描かれている。洋式晩餐会などが行われる「藤の間」に掛けられた段通、綴れ織りの織物は幾人かの織師が同時に織ったと云う西陣織で幅は32米の広さで在ると説明を受ける。
迎賓館と仙洞御所見学の巻
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都の辰巳に棲まいしての巻、其の5
醒花亭の李白の詩額
雨上がる