「屁放き爺さん折節のお話」

巻二の二

「中国鉄道貰い食いの旅」2

  此の霞興駅の早朝のホームに粽(ちまき)を売るお婆さんがいた。お婆さんの前の売り台に積み上げた粽から湯気が立ち上がる。ビニール袋に四つの粽が一包みとして包まれて十元{約百三十円}であった。最初の旅行で偶々、買って美味しかったので毎回、朝飯として二つを汽車で食べ、ホテルの部屋で朝湯上がりのビールを片手に二つ頬張るのが、黄石から上海の旅の旅程の決まりに為っていた。"為っていた”と述べるのは、昨年の十二月初めの西子女史との逢瀬を楽しんだ帰路では様子が少し、変わっていた。粽売りのお婆ちゃんの代わりに女盛りの小母さんが、お婆さんと同じ様に、粽ケースから湯気を上げて立っている。"あれ?お婆ちゃんは?”と訊ねると、小母さん曰く、"媽々中国語で母親}は年を取って動くのが億劫に為って私が代わりに売っている”と。彼女はお婆ちゃんの次女で、粽作りが下手なので売り子にされたとか。

ー嘉興駅の粽売りのお婆ちゃんー

  筆者は此の彷徨いの旅は出来る限り、汽車{中国語で火(フオー)車(チャー)}を利用する。夜の移動は危険なのでグリーン車を、昼の移動は専ら二等車を利用する。二等車を利用する理由は楽しいからである。一人、寂し気に坐っている否、キョロキョロとしていると必ず、誰かが話し掛けて呉れる。"ケッタイナ、中国人では無い様な奴が乗ってるぞ”とでも感じるんだろうか?"お前は何処の奴だ?”。"日本人だよ”。"日本人はグリーン車に乗るもんだ。お前は何故、二等車に乗るんだ?”てな具合で会話が弾む。中国人は物珍しがり屋が多いのか?興味を感じたら行動に移す性格の人が多いのか?此の点は大阪のオバハンに好く似ている。オバハンからおっさん、若い小姐・・・。結局、車内は日中友好の集いに変わる。"此が本当の日中友好だ”と筆者は思う。面白い事に彼等は必ず、此の得体の知れない闖入者に餌を与えて呉れる。"茹で卵を食え”。"インスタント拉麺は如何?”、”南京の種、林檎・・・”。

「頑固爺の独り言、愚痴噺」
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"お婆ちゃんは元気なの?”。"元気に粽を作っているよ。値段が上がったよ。悪いね”。
結局、一包み二個の粽を二十元で二包み買った。倍の値上がりである。中国は経済進捗も凄いが物価も騰がりも激しいとか。粽にも世界第二位の国民総生産が関係しているんだと気付いた。斯くして、西子女史と別れて四ヶ月目に為る。ちょっと寂しいね。そろそろ理由を無理矢理、作り出して逢瀬を考えようかな。女房に何と言って誤魔化そうか。

  中国の汽車の旅は長い。彼等にとって食い物は必要欠くべからざる物資なのである。二等車の移動は飢える事が無いし、其処には国境の壁の無い、人と人の付き合いが出来ると筆者は思う。嬉しい楽しい旅が経験出来るのである。 黄石から上海の夜汽車では上海南ターミナルの一時間ほど手前に「嘉興」という街がある。二千五百年前に呉越の戦い「?李の戦い」が行われた古戦場である。「?李の戦い」は呉越戦争に欠かす事が出来ない文言「臥薪嘗胆」を生む契機と為った戦いで在る。此は「呉越の戦い」第二項「臥薪嘗胆」欄に述べたので其方を参考に・・・。