「母系氏族社会」と云えば、中国の西安近郊で発掘された仰韶文明{公元前4500年頃〜2500年頃、今から七〜五千年昔}や、日本で発展した縄文文明{今から約一万六千五百年前(公元前145世紀頃)〜約三千年前(公元10紀頃)、世界史的には中石器時代〜新石器時代に相当する時代}に思い至った。仰韶文明に属する半坡遺跡に関する記事を思い出したのである。記事に曰く、”人類は、氏族が構成される以前は、男女は誰とでも交わった。其処には肉親の認識も無く、両親や兄弟姉妹とも性交渉をもつ本当の意味での乱婚?否、乱交、雑交が行われていた。しかし、長い歴史の中で近親相姦が不良な肉体を生み出す事を学び、血縁者を見分ける為に氏族が形成された。原始共産社会では集落の運営は女が錐揉みし、主導権を一手に握っていた。母系の絆で組織される事は当然で在る。何故なら子は母だけを知って父を知らない。成人後は兄弟姉妹も判然としない。母のみが子を知り、子の兄弟姉妹を知る。母を中心に集団が組まれる事は血縁の判別を容易にする。斯くして氏族内や血縁同士の交わりは無くなったが、氏族内で無ければ誰とでも交わった。群婚、乱婚。母親でさえ"我が子の父親が誰か?”を知らない状況で在ったのである”と述べる。つまり・・・・・・。
   中国の仰韶文明、日本の縄文文明、共に「乱婚」つまり、”誰とでも交わり、子供は村やが育てる。別れる時は互いにサラッと・・・”と云う。此れには多少、疑問が起こる。身体を重ねる関係で在った二人、"片方が去らんとする時、他方はサラッと忘れる事が出来るか?”、"嫉妬や執着は無いのか?”という疑問である。しかし、民族にはそれぞれ長い時間、培われた特有の習慣や想いが在るのかも知れない。執着が無いからこそ或る女性の如く、百五十人もの相手と肌を擦り合わせ、愛を育む事が出来るのかも知れない。不要る詮索?

   "元始女性は太陽で在った”と、平塚らいてふ女史が女性解放を唱えたが、文明社会??、東洋社会に限らず「男尊女卑」、「夫唱婦随」等という哀しい儒教、キリスト教的精神史を経て今日に至る。日本では一時、論議に上がった「女性天皇是非論争」が下火になったが、"日本二千年の伝統”等と「女性天皇」を否定為される女性評論家桜井よし子女史や、国会議員の数多の先生方が居られる。「男女雇用機会均等法」は、"天皇職?には当て嵌める事が出来ないのか?女性総理大臣を輩出した事の無い日本社会の現状は・・・”と哀しい限りである。そう言えば儒教を精神拠り所にして発展するお隣の国では第四番目の女王として、朴槿惠大統領が生まれた。日本でも早く、女性が天下を牛耳る時代が来て欲しい。
   学生時代、もう半世紀以上に為ろうか?或る全学連女性活動家で在る先輩に言われた。"貴志君、日本の夜明けは近いのよ!・・”。"はい、頑張ります”と目を輝かせて返事し、日中国交回復運動{当時、日本政府は中国共産党政府を認めず、台湾の国民党政府と国交を結んでいた}に身を投じた事を思い出す。
   否々、哀しい老人の昔語り、愚痴で在る。失礼!

「屁放き爺さん折節のお噺」輯第二篇

偏屈爺の独り言の巻

”貴志君、日本の夜明けは近いのよ!”

女の天下、男の天国

    "中国奥地に棲む少数民族、摩梭人は「母系氏族社会」を営んで、今でも通い婚(アチュ婚)の風習を守っていると云う。”男が夜、女の部屋に忍び込んで共に寝、朝に為ったら自分の家に帰る。生まれた子供は女の家族達が育てる。家長は経験豊かな女性で一族の男女は彼女の従って平和に暮らすという。男女の関係はサラッとしていて、考えてみると男は精子の提供だけが役目の様で在る”と云える。    或る摩梭女性は百五十人の男性を相手にし、子供を二十人以上生んだと云う。当に”女の天下男の天国”で在る。

「折節のお噺」巻四”臆病二等兵従軍記”
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 「折節のお噺」巻四の2"閏余成歳”
 日本人文字を知る(orifusi4-2)

 {折節のお噺」巻四の3”閏余成歳巻2”
 人類は世紀末がお好き(orifusi4-3)
「折節のお噺」巻三日本人の恋愛事情”
(orifusi3.html) へのリンク


 「折節のお噺」巻三の2”与太郎戦記”
 従軍慰安婦(orifusi3-2)

 「折節のお噺」巻三の3(orifusi3-3)
 ”今は六十年昔、親父と中国で出遭う”