故郷の中国に戻った白面金毛九尾の狐は、褒姒に化身して自分を追い払った西周王朝に仇を討たんと武王の後代、幽王姫宮涅}を其の美貌で擒にして王朝を滅亡させる。此は第一項に記したが、西周滅亡の時に彼女は捕らえられるが行方不明に為って消える。
其の後、唐王朝の時代に再び現れ、若藻という十六、七歳の美少女に化身して日本の遣唐使節吉備真備を惑わし、鑑真和上や安倍仲麻呂等が乗る第十回遣唐使の帰り船に乗船して彼等高僧や高官に紛れ込んで日本に渡来したと云われる。何故、皇帝の寵愛厚き楊貴妃には化け得なかったのであろうか??彼女が転生する美女には豊満な女性は似付かわしく無かったのかも知れない。狐の化ける美女は細面の少し、眼の吊り上がった神経質そうな雰囲気を漂わせる女が似合う様に思える。此は余談。
日本では、藻女と呼ばれる美少女に乗り移り、十八歳で宮中に女官として上がる。当時、院政を布いて宮廷を牛耳っていた鳥羽上皇に其の美貌と博識を寵愛される。美福門院藤原得子で在るとされるが?、遂には上皇と契りを結んで「玉藻の前」と呼ばれて宮廷に大いなる力を発揮する。その後、上皇は次第に病に伏せるようになり、陰陽師・安倍泰成によって上皇の病が玉藻前による事が判明される。
当時は、怨霊が跋扈した時代で、最も暴れた怨霊は菅原道真とされるが、此処は道真には触れない。泰成に本生を見破られた彼女は都を抜け出す。此の時、宮中で行われた「狐狸退散」の祈祷では、四方を護持して泰成の祈祷を補佐する四天王の東方を護る{持国天に相応する}弟子が、藻女とは幼馴染みで彼女に想いを寄せていた。彼は護摩祈祷に苦しむ初恋の幼馴染みを見かねて心に動揺を来す。東方守護の祈りに躊躇いの有る事を知った玉藻の前、白面金毛九尾の牝狐は、此の弱点から逃げ出すのである。白面金毛九尾の牝狐に姿を戻した玉藻前を那須の国迄追い詰めた泰成は、万全の供えを東方護持の弟子に諭して遂には、彼女を岩に閉じ込める。那須野{今の栃木県那須町那須湯本温泉付近}の殺生石が其の岩で在ると云われ今も、毒気を吐くという。此の事件の後、間も無く此の殺生石を抱いて幸せそうな、安らかに眠る一人の修験者が発見されたと伝説は語る。
其の後、南北朝時代に会津に元現寺を開いた玄翁和尚が祈りで殺生石を破壊し、玉藻前は完全に葬り去られ、破壊された殺生石は各地へと飛散したと伝わる。
此は筆者が幼い頃、亡き母が機会ある毎に語って聴かせて呉れた美しくも哀しい恋物語である。亡母も筆者も、「玉藻前御前」や「白面金毛九尾の狐」を単なる国や王朝を破壊しようとした悪役ではなく、孤独を恐れ、愛を求め、運命に弄ばれた悲劇のヒロインと見たいので在る。美しい日本の物語の一つとして捉えたいのである。
「屁放き爺さんの恋談義」巻2ー(2)
中国の戦国時代から秦漢時代に成立したとされる「山海経」は各地の神話や伝説をも書き含む地理書であるが、其の「南山経」欄に、"青丘の山に棲まう獣は狐の様な姿で尻尾は九つ、嬰児の様な声を出し、人を喰らう”と記載される。此の「白面金毛九尾の狐」の化身が妲己女史だと云うので在る。飛んでも無い「物の怪」にされたものであるが、多くの史書の述べる処によれば、"凄い悪女で在った”と云う。白面金毛九尾の狐が三人の美女に化身して、中国三代{夏、商殷、西周}の王朝を滅亡に導いた経緯に付いて記したので此の項は、彼女つまり、白面金毛九尾の狐の最期と我が国での悪戯?に付いて記したい。
白面金毛九尾の美女狐の活躍の場は中国だけでなく、西周王朝を建てた武王と太公望によって商殷王朝の紂王の滅亡と共に国外に追われ、タクラマカンの沙路やパミール高原等を経由する「絲調之道」を遙々と旅して?天竺の耶竭陀国に渡って班足太子の妃・華陽夫人に化身して千人の民を虐殺するという悪逆無道を王子に行わせる。しかし、名医耆婆に其の正体を見破られ、耆婆の法力に破れて彼の地を追われ、故郷の中国に舞い戻るのである。
ー世界を股にかけた美女狐ー
絶世の美女「玉藻の前」
此の項では、白面金毛九尾の狐が三人の美女に化身して、中国三代{夏、商殷、西周}の王朝を滅亡に導いた経緯と彼女狐?の最期と我が国での悪戯?に付いて記したい。此の美女狐は、「妺嬉」と為って中国初代統一国家とされる夏王朝を滅ぼし、「妲己」に化身して商殷王朝を悪名と共に革命に散らせ、西周王朝の馬鹿帝王には"「一笑千金」と讃えられる美女と為って、悪戯小僧に国を亡ぼした”という汚名を負わせるので在る。更に天竺や日本つまり、当時の全世界に渡って活躍する。