桑名鋳物の始まりはきわめて古く、戦国時代といわれています。明治の開国により西洋文化・機械が入ってくると、産業機械器具が盛んに製造されるようになり、現在では梵鐘を始め美術工芸品、家庭用品、電気部品など、幅広い鋳物の製品が作られています。桑名市内にある春日神社前の青銅の鳥居は桑名鋳物師の辻内善右衛門種次によって作られたものです。
揖斐・長良・木曽の三大河川の河口に位置する桑名は、濃尾平野の米や木材の集積地として栄え、箪笥などの家具・仏壇・和太鼓・盆など、様々な木工品が作られました。かぶら盆とは丸盆にかぶらの絵が描かれたもので、白川藩主松平定信にこよなく愛され、幕府にも献上されています。
その他にも沼波弄山(1718〜1777)によって初めて作られた萬古焼きや刀鍛冶の技を伝承して作られる包丁など職人達の手技は様々な分野で生き続けています。
自然の恵みからは様々な味の特産品が生まれました。桑名の浜から沖合いにかけては、木曽三川の淡水と海水がほどよく混じり、貝や海苔・白魚などが豊富に採れる場所でした。とくに蛤(はまぐり)は「浜の栗」と呼ばれるほど色・艶がよく、ふっくらとした大きな実で、古くから全国的に知られていました。「その手は桑名の焼き蛤」という洒落で有名な桑名の焼き蛤は、汁分の旨みを逃がさず早く焼くために、貝の目(ちょうつがい)を切って、貝の口が開かないようにして焼きます。江戸時代には桑名から富田にかけての東海道沿いに、焼き蛤を食べさせる店が軒を連ね、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも登場します。
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蛤の中でも産卵前の大きなものを選び、しょうゆで煮しめて作るのが桑名名物の「しぐれ蛤」です。初めは煮蛤と呼ばれていましたが、10月の時雨の季節に製造するものが美味しいという理由で、俳人各務支考によって「しぐれ蛤」と命名されました。今日でも、日持ちのするお土産として大変喜ばれています。
他にも鈴鹿おろしで凍てつく土地柄を生かした寒作りの手延べ素麺やうどん、味噌・しょうゆ、地酒、近代設備によるレトルト食品や納豆など、様々な食の特産品が桑名に訪れる人々の舌を楽しませてくれます。
また立場茶屋で出された「安永餅」は独特の製法を誇っており、和菓子やたがね、かぶら煎餅といった和菓子を作る店も多く、自慢の品を並べています。
萬古不易-萬古焼きの創始者、沼波弄山(1718〜1777)が自らの焼き物に込めた、良い物は時代を超えて生き続ける、という精神は、今も桑名の物作りの原点として息づいています。
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