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江戸時代初期、伊藤勘六という塗り師が、盆に草花や果実の模様を描いて売り出したのが始まりとされる。その名は、江戸時代後期、老中・松平定信が文人画家の谷文晁に命じてかぶらの絵を描かせ、将軍へ献上したことにちなむ。かぶらの丸は家庭円満を、根ひげは子孫繁栄にたとえられ、縁起物としても重宝された。 |
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1600(慶長5)年関が原の合戦の後、領主の保護を受け、鉄砲などの武器を製造したのが発祥とされる。明治以降は、産業機械器具が製造されるようになり、現在では日用品や梵鐘、美術工芸品が作られている。桑名鋳物は薄物を得意とし、鋳肌の美しさ、寸法の正確さで知られている。 |
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かつて鈴鹿山系北部では良質の欅(けやき)を豊富に産し、員弁川の水運により木材が集まったことから、北勢地方は太鼓製造の一大産地となった。現在は欅の大木もほとんどなく、北海道や東北などから原木調達されている。 |
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桑名では、室町時代より多くの刃物の名工を輩出し、江戸時代後期には刃物類の産地を築いた。特に菜切包丁は越前のものより早くから作られ、切れ味のよい手打ち刃物として評価が高い。 |
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「萬古不易(いつまでもかわらないようにという意味)から名付けられた萬古焼きは、桑名の商人沼波弄山によって江戸時代中期に作られ、中国赤絵やサラサ布地の柄を取り入れた異国趣味の陶器は、江戸時代の知識階級にもてはやされた。その後、江戸時代末期、桑名の森有節によって木型を用いて成形する「型萬古」の技法が発明された。 |
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