此処に記した「短歌行」の注釈は筆者の独自の解釈である。従来、日本での翻訳文で無い、筆者が訳し直した処は太字で記した。従来の文は赤字で記した文である。筆者は思う、”従来の解釈では余りにも表面的な捉え方に終始し過ぎではないだろうか”と。”曹操程の詩人が表面的な詩を読むで在ろうか”と。冒頭にも記したが、此の詩は戦を前に、全軍の士気を鼓舞する目的があり而も、皇帝を擁した正義の軍で在る事の宣言である。
  曹操は息子の曹丕、曹殖と共に三曹と讃えられる大詩人の一人で、「建安文学」の開花に貢献した大文学者である。彼は此の詩以外にも沢山の詩を残した。「薤露」という詩にも「・・・・・瞻彼洛城郭 微子為哀傷」と天子の流浪する様を嘆いている。詩と云う文学は其の裡に多くの想いや感情が籠もって居なければ為らない。


 
 「三国誌・太祖伝」で陳寿は謂う。

  ”漢代の末、天下は大いに乱れる。群雄が並び立つ中、袁紹は四州を支配し、天下を虎視して彼に対抗する者は無かった。魏の太祖、曹操は籌をめぐらし、権謀の限りを尽くして天下を鞭撻する。申不害と商鞅の法術を採り、韓信、白起の奇策を備えて官吏に人材を登用する。能力に応じて、自らの感情を抑え、損得を考えて過去に拘らず、任に就かせた。終に、朝廷の務を御して天下争奪戦を制し、大業を成し遂げたのは惟、明略が最も優れていたからである。是の事実は、彼が平常の人でなく、時代を超越した英傑と謂う事で在る”と讃える。また、"軍を御する事三十余年、手に書を棄てず・・・・文を賦し、詩を作る”と、文学を愛したことを強調する。つまり曹操は文学を愛し、人材を過去の過失や罪を問わず適材適所に登用し、自身も古の偉人に匹敵する能力を有して天下を掌中に収めた。文武に秀でた時代を超越した英傑であったと謂うので在る。
  曹操は「三国演義」には悪逆非道で、諸悪の根源と書かれるが、陳寿の言う所は少し違うようである。筆者も何処か、曹操は憎み切れないものを感じる。曹操は、漢王朝や皇帝を蔑ろにしたのではなく、統治能力を無くして衰頽の一途を辿る漢王朝の丞相として王朝の権威復興を目指して日夜、孤軍奮闘、獅子奮迅の働きをしていた様に思えてならない。

「屁放き老師三国志に游ぶ」曹操篇

ー烏鵲南に飛ぶー(巻一曹操)

「対酒当歌、人生幾何;    「酒に対して当に歌うべし、人生幾何ぞ;
 譬如朝露、去日苦多。   譬ふれば朝露の如く、去りし日は苦多かり
 慷当以慨、憂思難忘;    慷ずるは当に慨を以て、憂思は忘れ難き;
 何以解憂、惟
(唯)有杜康。 何ぞ以て憂を解かん、惟杜康のみ。
 青々子衿、悠々我心;    青青たる子が衿、悠々たる我が心は;
 但為君故、沈吟至今。    但だ君が為故、吟に沈みて今に至る。
 呦々鹿鳴、食野之苹;    呦々と鹿の鳴きて、野のりんごを食う;
 我有嘉賓、鼓瑟吹笙。    我に嘉賓有りて、瑟を鼓し笙を吹く。
 皎々
{明々}如月、何時可輟?皎々明々と月の如く、何時輟む可し
 憂従中来、不可断絶!   憂は中より来たりて、断絶するは可ず!
 越陌度阡、枉用相存;    陌を越え阡を度り、枉用して相存す;
 契闊談宴、心念旧恩。    契闊して宴に談じ、心に旧恩を念ふ。
 月明星稀、烏鵲南飛;    月明るく星稀にして、烏鵲の南に飛ぶ;
 綫樹三匝、無
(何)枝可依。 樹を綫る事三匝、依る可き枝無し
 山不厭高、水
(海)不厭深; 山の高きを厭わず、水の深きを厭ず
 周公吐哺、天下帰心。」       周公の吐哺に、天下心を帰す。」

曹操詠「短歌行」を読む

  孔明の好敵手で而も、孔明が王朝を統治し、建国するに当たって多くの事を学び、模倣した曹操について述べる。曹操は「三国演義」では悪辣非道kの上も無き、人物と描かれるが、陳寿が著した正史「三国志」では違う表現で述べられる。其処には寧ろ、孔明など三国時代の英雄の中では、際立つ人物で在ると賞賛を受ける。筆者に取っても人間味に富んだ、魅力いっぱいの人物である。

  「赤壁の戦い」の前夜、酔っぱらった曹操が詠んだ「短歌行」という詩がある。其の壮大さ、大会戦を控えて兵士らへの鼓舞と意気込み、背景の長江、哀愁を奏でる等々、大詩人曹操の面目躍如足る雄大な詩で在る。
  哀愁を帯びた書き出しの句、楽しげな宴会の場面、其の雰囲気をがらっと変える鵲の飛び行く寂しげな風景、決然と決意を述べる結句等々、全体に漂う放浪の帝を傷む心情は読者に感銘を与えて已まない。
  しかし、現代に伝えられる詩に対する解釈や詩の読み方、詩の意図せんとする内容把握が "少し、おかしいのでは?”と思う。「三国演義」の中国語版を入手して、此の疑問が益々深まった。其処で筆者の独自の解釈を述べたいと思う。日本で出版されている此の詩の字句に四カ所、四字が原書と違うが、字句の違いは「三国演義」の方を参照する事にして詠む事にする。其の方が意味が好く通って、解釈に無理が生じないからである。下に全文を記す。( )内の赤字が日本で出回る多くの著作に使われている語字である。

「烏鵲南に飛ぶ」巻2
(sousou2)へのリンク

*、詩の訳文、内容は

酒が有れば大いに歌う、人生の何と短き事かを;譬えれば朝露の如く、去りし日の何と苦労の多かったか。
今更、慷慨しても、憂いは忘れ難い;此の憂いをどのように晴らすか、惟えば(唯)酒に頼るだけであった。
青々とした衿に身を正しても、我が心は遠く果てなく、君の不幸を思えば、心沈んで詩を吟ずるのみ。

 
[若い才能のある人々を遙かに思い続けるが、貴方の様な人を求める為に物思いに耽って今に至る。 ]
瀟々と鳴く鹿が、野にりんごを食う{食を求めて彷徨う鹿の様な帝};今宵嘉ぶ可き賓客{帝}が有り、鼓を打って瑟を弾き、笙を吹いて宴を催そう。
 [私に立派な客人があれば、瑟を弾いて笙を吹いて迎えよう。]
皓々と月が照らす華やかな宴を、何時已める事が出来ようか?{このまま続けたい}。

 
[明々と月の様に輝いている人を、何時になったら採用出来るのだろうか?]
憂いは心の底から沸き上がり、未だ断ち切る事が出来ないが{天下を治めて主上を安じたいと思う}。
山川を{遙かに}越えて、労駕された主上に身を曲げて伺候する;

 
[道を越え流れを渡って、わざわざ私を訪ねてくれた人と;]
苦労に耐えた甲斐があって宴に主上と談じて、昔受けた恩顧を心に懐う。

 
[心を込めて酒を酌み交わして談笑し、昔の好を何時までも忘れまいと思う。]
月は明るく星は稀薄にして、烏鵲は南へ飛ぶ。樹を三周巡るも、頼る枝は無い{主上の威光は未だ輝くが、取り巻く臣下も少く、鵲の様に当てもなく大樹を求めて彷徨う。しかし、頼りになる枝も無い}。
我は山の高きことも、流れの深き事も厭わず、
周公が吐哺握髪をして、天下の人を心服させた様に。{大樹の枝となって帝の為に天下を心服させよう。}
 [古の周公は口中のものを吐き出す熱心さで{賢才に接したからこそ}、天下の人々が彼に就き従った。]

  *注、周公の吐哺(吐哺握髪)。伝説に由れば周公は枯渇するように賢能の士を求め、食事時や洗髪時に賢能の士が来訪すれば、直ちに口中の食物を吐き出して髪を握って出迎え、歓待したという。