随心院と勧修寺拝観
女房が神経内科の桒田先生の診察を受けるた為に医療センターに行くのに付いて行った。腰が痛いという事で下手をすると手術に為るかも知れない。「そりゃあ、大変だ」と診察に付いていったと云う次第で在る。「座骨神経痛と言われたよ。腰は余程のことでない限り、手術出来ないんだって。残念だったね」と声が明るい。「好かったねえ」と言ったものの、料理が出来なく為ったのは残念で在る。
帰路、勧修寺と随心院拝観。勧修寺は昔は門跡寺として規模を誇ったらしいが、今は寂れた感じ。拝観者が数組写真を撮っていたが、建物内部の拝観開放もなく庭園ぶらつきのみの開放で在った。庭園の紅葉も寂しく、物足りなさを感じさせた。
随心院も静かな拝観が出来た。小野小町に所縁る寺と在っては、エロ爺いには何としても拝観せねば為らない寺で在る。庭園に面して開け放たれた書院に暫し、坐して紅葉する木が数本佇む庭を拝観。数本の紅葉する楓が背景を為す常緑樹と池、柴庭のコントラストが好く、数本の紅葉を引き立てている。門前には梅林が在って三月頃の梅、四月の桜の時季も好さそうで在る。何より我が家から京阪バスで15~20分で来れるのが好い。
小町の愛を求めて深草少将が100夜通いの最終日に寒さと風邪で亡くなったとか(一説には大水に流されて死んだとも)??
「花の色は 移りにけりな 徒に 我が身世に降る 眺めせし間に」と老いた己の虚しさを、其の美人振りを持て囃された若き日を対比させた小町の歌。小町の美女振りを思わせる歌や小町を偲ばせる随心院拝観で在った。

永観堂禅林寺の見返り阿弥陀拝観
永観堂は東山の山裾を廻って多くの堂塔が渡り廊下で連なっている。御本尊様は阿弥陀来迎像で本堂のお厨子中に佇んで居られる。阿弥陀様はそっぽを向いて居られませんね?」。本堂担当のアルバイト嬢か?「見返り阿弥陀様は阿弥陀堂でお詣りに為れます」。本堂を出て阿弥陀堂に向かう。成る程、「そっぽを向いた阿弥陀様」否失礼、「見返り阿弥陀立像」が佇まれている。そっぽを向かれている阿弥陀様に手を合わすのも変な話で在るが、叩頭合掌して拝観する。そっぽを向いた阿弥陀様」と云うのは昔、親父が此の像を拝観して「永観堂の阿弥陀はそっぽを向いて居るぞ。変な仏さんだよ・・・」と喋っていたのを想い出したからで在る。 国宝の本絹地色山越阿弥陀図を始め、沢山の重文のある浄土宗の大寺院で在る。其れ等寺宝以上に紅葉寺として有名である。多宝塔まで登ると京の街を一望できる。
沢山の拝観者の列中に混じって多宝塔まで登った。随分と険しい登山階段を息を切らしながら登り終えると京の街が冬日に浮かんで白色に見える。紅葉の錦と対照を為す様で在る。紅葉の中の茶屋でアルバイトらしい女子大生からみたらし団子の皿を貰って紅葉団子と洒落てみた。横に坐って団子を食う婆さん女房に比べると若い娘は好い。其れも女子大生と聞くと何か、下半身がときめく。やはり、俺はスケベエロ爺さんやったんや。
永観堂を下山路は、人の疎らな南禅寺界隈の別荘群の小径、疏水の枝分かれした細い流れ横の脇道を「永観堂前」或いは、「東天王町」のバス停に向かっって歩き、熊野道から東山通りをバスで経て地下鉄東山駅から帰る。女房曰く、「10時頃家を出て3時頃、家に居るやはり、京都に棲んでたんですね」と妙な事に感心頻りで在る。
「都の辰巳に棲まいして」
真如堂の阿弥陀様参拝
女房の腰の痛みは治る気配も見えないが、真如堂で一年に一度、11/15(今日)だけ開扉される御本尊阿弥陀三尊立像とご本堂に掲げられる阿弥陀如来と二十四菩薩来迎図の大掛け軸を拝観に出掛けた。朝早いお詣りで在ったので参拝客もまあまあの出で、境内の紅葉と共にゆったりと参拝させて頂いた。御本尊の三尊は、勢至菩薩が欠けてお不動様が佇まれ、観音像も千手観音が聖観音に代わって阿弥陀様を補佐される。恐らく、時代の経過或いは、先の大戦(応仁の乱)で焼かれて聖観音と勢至菩薩がお不動様と千手観音様に置き換えられたのでは無かったか??と筆者独自の仮説で在る。
バス停真如堂前から真如堂に登る同寺院の裏参道は険しい登り坂で在る。しかし、女房の腰の痛みは、此の様に古寺の拝観散歩などでは痛まないらしい。好い寡言なもので在るが、後日の京都医療センター神経内科医の診察で座骨神経痛と判断されたが神経、脳の作用による疼痛と在れば、此の好い頃寡言さは当たり前で在るかも知れない。
見返り阿弥陀を横から拝む
開扉された御本尊と江戸期に描かれた阿弥陀来迎図、寺院を彩る紅葉拝観を終えて真如堂裏参拝路を下ってThe road of iron sieance(哲学の路)??を散歩して永観堂の紅葉鑑賞に向かう。 「そう言えば6月に来た時、此の哲学の路では蛍は見えませんでしたね」、「否、二三匹飛んで呉れたんと違うか。此の小径を上りきった処の霊観寺門跡は開扉していない遣ろうなあ。好い寺なんだがなあ」・・・。
今日の哲学の路は外人が多い。南禅寺、永観堂から銀閣寺、法然院に向かって哲学の小径を北上するので在ろう。そうこう歩きながら、喋っていると永観堂の門前である。紅葉で有名な古寺の境内は紅葉が見頃で在る。門前正に、錦為す紅葉の遙か向こうの東山の中腹に多宝塔を眺める最高の眺め、今を盛りと紅葉・・・はちょっと異な表現で在る。盛りの紅葉は無かろう、葉っぱが盛りを終えて紅葉して落葉するのではないか??
「そっぽを向いた阿弥陀様」の巻
「都の紅葉を彷徨い歩く」巻三
真如堂三重の塔