五山の送り火
毎年、8月16日の今夜、京都では都を囲む山々に送り火が焚かれる。五山の送り火とは、「大文字」が東山の如意ヶ嶽に、「妙」と「法」の二字が松ヶ崎西山、万灯籠山と東山つまり、大黒天山に燃え浮かぶ。西賀茂の妙見山には「舟形」、金閣寺を見おろす衣笠山には「左大文字」更に、嵯峨の曼荼羅山には「鳥居型」が燃えて五山の山を焼く送り火が京の夜空に浮かび上がる。此の五山の外に嵐山では灯明が流れに浮かべられて死者達の阿弥陀世界に帰るのを見送る。
午後6時過ぎ、夕食を早い目に終えて五山の山焼き見物に出掛けた。大文字の正面、出町柳付近は避けて北大路橋近くの鴨川堤防に携帯椅子を並べて大文字の灯が点火されるのを待つ。次第に、大文字の点火を待つ人々が鴨川の堤に増えて来た。ユカタ姿のお嬢さんの一団も見える。学生らしき若者の一団は北大路橋の下で楽器を奏でている。誰も彼も、大文字が夜空に浮かび上がるのを今や遅しと待ち構えている。普段着の小母さんはご近所の方で在ろうか??随分と人々が集まって来た。
午後8時、薄暗い夜空に黒く縁取られる如意ヶ嶽の中腹と覚しき辺りに、灯りの朱黄が所々に灯り始め、次第に其の灯りが黒一色の中に浮かび始めて次第に、「大」の字を形作った。彼方此方から拍手が聞こえ始め、「ウオー」と溜め息が立ち上がる。「やはり、大文字は京都に限るな。昨日の猿沢の池の大文字もムードに溢れたが、鴨川の河畔で見る大文字は好い。京都だねえ」と女房に言ったか??心に叫んで言葉を呑み込んだか??
「屁放き爺さん折節のお噺」輯第四篇
「都の辰巳に棲まいして」の巻、巻四
京の夏の挽歌「五山の送り火」
盂蘭盆会に想ふ
今日でお盆が終わり、彼の世から此の世に帰って来ていた死者達が、送り火に見送られて阿弥陀様の元に戻られる日で在る。街々では8月16日或いは、15日の夕方、送り火が彼方此方の家々の玄関前で焚かれて、一年に一度の帰郷を許されたて帰宅されていたご先祖様方をお見送りする風景が見られる。此の風習は、各お宅の宗派によって細かい方式が異なるが、昔は大方のお宅ではお盆にご先祖様が祀られる風景が見られた。しかし、家族構成に対する考え方の変化つまり、家という概念から個の概念に移行し、個人を基にした所帯単位に変化した最近ではお盆の行事は余り、行われなく為った様で在る。偏屈爺にとっては寂しい限りであるが、高層団地や建て売りの合理的な居宅、部屋も畳敷きで無く、スリッパを履かねば為らない部屋では、お盆提灯や灯籠は似合わない。
我が家でも否、私は自分の親たちは妹に任せて専ら、女房の実家のご先祖をお祀りさせて頂き、お墓やお仏壇のお守りをしていた事もあって昨年までは、私等夫婦が迎え火であの世から戻って来られた荒川家、下村家のご先祖様方に女房がお食事を供し、毎日お経(般若心経と般若明呪経)を私が唱え供してお祀りをさせて頂いた。8月16日には送り火を焚いてお見送りをさせて頂いていた。
我々夫婦は兄弟間のいざこざから実家の土地屋敷を荒川家の跡目を取った義弟に返して昨年11月末、京都に越して来た。今年からは女房の弟、荒川俊治夫妻がお盆の行事を執り行っている事に為る。多分、送り火も焚かれていると想像する。想像するというのは弟の細君は、英国国教会系のキリスト教信者で在るので果たしてお盆の間、ご先祖様方が無事に祀られたか?自信が無い。まあ、他家の事は知らず、「貴志の親父やお母んは妹が祀っているので問題が無かろう」と喪主で在る私は至って、無責任で在る。前置きはさて、おいて・・
如意が嶽に浮かぶ送り火「大文字」
あはれ今年の夏も去ぬめり
北大路橋に立ってまた、大の字を眺める。そう言えば「舟形は此の方向に見える筈だよ」と橋を東に向かって歩く。「あっ、あれは・・・?」。「おっ、「妙」の字の端っこやないんちゃうか?・・・」。「妙の字の何処?」。「妙の字の右側の少の字の天辺やないか?」。橋から見える木々や建物の間に朱黄の灯の欠片が揺らいで見える。木々が風でそよいでいるからであるが、灯が瞬いている様に見える。やはり、妙法の一つ妙の字の一部で在るに違いない。其処で今度は、北大路を西の方、衣笠山の方向を振り返ると其処にはまたまた、朱黄の色の塊が街路樹と家々が続く北大路の歩道の遙か向こうに遠く、浮かぶ。「左大文字」が見えてるでー」。
北大路橋を東に渡り切らんとする処で、鴨川の上流を眺める。何やら煙らしきものが上るのが窺える。更に、橋を渡り切ると其処に舟の帆の突端らしき朱黄が見えた。「もうちょっと、上(北)に行く方が好いかな??」と橋から植物園の方、我が母校のグランドの方に鴨川の堤路を進む。次第に朱黄の炎が舟の帆を形作り始める。五山の送り火の一つ、「舟形」で在る。
「今年は、五山の内の四つの送り火を見る事が出来た。好かったなあ・・・」と女房に言いつつ、植物園前バス停から205番市内循環バスの座席に坐って、バス路の歩道を五山の送り火を眺めて満足した様子で家路に着く人々、ユカタ姿のお嬢さんや男共が行列を為してぞろぞろと歩む光景を眺めた。
五山の送り火と共に京の油地獄と称される夏が去って、山々が燃え立つ秋が間もなく、やって来る。
大文字 送り火消えし 山影の 薄く浮かびて 京の夏去ぬ