大仏御前の日中友好談義 (大仏さんの悪戯??)

  京都は純日本風の雅な奥深い雰囲気、奈良は中国唐の都長安に倣った唐風の所謂、「青丹葭、平城の都」的な彩り豊かな雰囲気を今に残す。そう言えば、大仏さんの灯明の中に「遣唐使云々」という女性名の寄進者の文字を見付けた。大仏に似合う面白い灯明に見入って居たら・・・。
  偶々、其処に居たインテリ風の中国人が日本語で「私は遣唐使です。否、遣唐使の目指した街から来ました」と言う。「爾来了従長安嗎(ニーライラツオンチャンアンマ)、(お前等は長安から来たのか)?」と中国語で応答。「阿部仲麻呂所謂、朝卿衡(チャオチンホン)所縁の何とか云う公園に行ったよ」と、此れは日本語で。彼は「空海が修行したお寺には(行ったか)?」と日本語。「青龍寺、是嗎(チンロンスー、シーマ)(青龍寺だね)?」と私は中国語。「対!対!(トウイ!トウイ)(そうです、そうです)!」と「当然、到了(タンラン、ダオラ)(勿論、行ったよ)」・・・・。「中国で知られる日本人は阿部仲麻呂と空海だけだよ」と女房と妹に話し、彼には「遣唐使で中国に渡った日本人の多くが、中国女性と結婚したり、中国の文化に憧れて中国に棲み着き、中国朝廷に仕えたんや。彼らは中国名を名乗ったんですよ」と日本語で話し、「例如、井真成的(リールー、ジンジエンチェンダ)(例えば、井真成の様にね)」と中国語で続けた。斯くし日中交流歴史会話が大仏さんの前で弾む。否、彼は長安に行った遣唐使の霊??大仏様の悪戯かも知れない。はやり、平城の都は長安否、中国唐の雰囲気で在る。


   遣唐使の 街から来ぬと 語る人 日中会話 大仏の御前に
「屁放き爺さん折節のお噺」輯第四篇
  午後7時、行列が前に進み始めて中門が開かれ、三つの入り口に導かれた。勿論、我々三人が先頭である。大仏殿が夜間照明に浮かび上がっている。大仏殿の堂内へよじ登って大仏様にお会いする急な石段が聳えるが、其の石段や大回廊に夥しい数の灯明が朱黄色い灯りで大仏様を荘厳している。大仏さんの大きな顔が、大仏殿の正面中段に開かれた小窓から覗いている。創建当時、天平の八角灯籠の灯りがほんのりと灯っている。照明に浮かび上がる大仏さんは、相変わらず温和なお顔で「お前等、好く来たなあ。まあ、今夜は万灯明を愉しんで呉れや!」と言っている様に見える。
  「お母さん、供養は全て、泉さんに任せて何もして来ず、申し訳御座いませんでした。大仏万灯明会の今日やっと、お母さんとお父さんにお詣りに来る事が出来ました」と女房は大仏様に合掌している。昼間に見るお顔と身体の彼方此方の銅含量の違いつまり、鋳造された時代の相違から来る鋳造色の違いが全然、見えない。「大仏さんは暗い中に浮かび上がるお姿が一番好い。仏様も夜、拝むべきなのか?」と三度も大仏様の像を廻って合掌させて頂いた。感激の大仏万灯明会の参拝であった。大仏様を拝んだ後は大回廊を通って退出する。「俺が昔、日曜毎に清水先生の墨を摺っていたのは、此の回廊の彼の辺だったんだよ」と女房と妹に自慢したが、二人共、「ふーん」と関心を示さない。

   大仏の 万灯明会 父母の 名記されし灯見ぬ 今宵送り火

猿沢の池の畔に平城の都の大文字を拝む

  帰路は、市内循環バスは見送って国立博物館前の広場と興福寺境内を抜けて途中、一言観音にお詣りをして南円堂石段途中の三重の塔を泉に見せ、石段下の猿沢の池の畔で高円山の大文字の送り火を拝んだ。猿沢池の畔の柳並木の緑葉が風にそよいでいる。其の向こうに大文字の山焼きの黄朱の灯が立ち上る煙と雨に霞む。ムード溢れる雰囲気は京都の大文字とは違った雰囲気を醸している。
   猿沢の 池面に垂れる 柳影 大文字遙か 煙雨に霞みて
   
大仏様の万灯明会参拝

  東大寺大仏様の「万灯明会」に参列した。親父とお袋を祀る灯明を妹の泉が寄進して私等を招いて呉れた。毎年、「参列したい!」と思い乍ら、曹洞宗の女房の実家父母の盂蘭盆会の行事の為、詣ることが出来なかったが京都転居を機に荒川家から開放されたのでやっと、親父とお袋にお盆の再会其れも、大仏様のお膝下で再会する事が出来る。
  夕方否、午後16;30頃泉と南大門下で落ち合い、大仏殿参道に列ぶ。列に列ぶじゃ無く、我々が参列の先頭に佇んでいだ。佇む我々の横を英語や中国語、何処の言葉か?判らない叫び声が響き渡り、青い目金髪の美女がリュックザックを背負って通り抜ける。相変わらず此処は国際的な大道で在る。そう言えば何かの書物で知ったが、此処は大仏が開眼した頃、今から千三百年昔も国際的な広場だったと云う。勿論、私が墨字を習う為当時、大仏殿の主管を為れていた故清水公照師の元に、日曜毎に通った半世紀前も同じ国際的風景を醸していた。そう言えば、大仏様の足元に置かれている鐘は故公照師が置かれたもので私が師の塔頭、宝厳院から運ばされて設置された。もう、半世紀も昔の事で在る。今も、大仏さんがお座りに為る右足元、襞の前に置かれて、参拝者の方々が打たれる。
  大仏殿中門の前では、雨が激しく参拝を待つ行列に降り注ぐ。お母んが「長い間、来ないでお前は!」と言うお叱りと、やっとお盆に会える事、詣りに来た事を喜んで呉れている涙雨だろうか??「御免、お母ん」。
悟空は雲を馳せて千里を奔る
「京都、五山の山焼き」の巻
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猿沢の池の畔の彼方に大文字
  JR奈良駅で泉と別れて十時頃、家に辿り着いた。大仏殿から奈良駅までの長い距離を余後の女房に歩かせた。しかし彼女の様子から、腹部の手術の跡や身体的にも大きな苦痛は無かった事が窺える。多分、疲れただけで在ろう。好かった!

  しかし、此の元気な雰囲気は、明日の「京都の五山の送り火も見に行こう」と言い出すのでは無かろうか??否きっと、「行こうよ」と言うに違いない。困った事であるがまあ、胆石の総胆管閉鎖を原因として死に瀕した肝機能疾患の全快と腹坑鏡的胆嚢除去手術の成功を喜ぶべきで在ろう??
「都の辰巳に棲まいして」の巻、第三
青丹よし 平城の都の 盂蘭盆会 
            おほき仏に 灯奉る