「屁放き爺さん折節のお話」巻二

「折節のお噺」巻二の2”我が愛しの西子”
(orifusi2-2.html )へのリン

ー老いらくの恋???ー”我が愛しの西子”

筆者按:「コロッケを 喰わすや上海 拉麺屋」

”中国鉄道貰い食いの旅”1

  処で話は全く変わって寄り道に入ってしまうが、「拉麺」は新しい麺文化で在る。公元前七千年頃{今から九千年ほどの昔}、地中海沿いの小アジアで栽培が始まった小麦はシルクロードを経て中国に伝えられ、麺文化を生んだ。其の麺文化が今度は逆に絲調之路を下って維吾爾族やカザフ族、キルギス族、タジク族、トルクメニスタンやウズベキスタンなどの中央アジアでは「ラグマン」等と呼ばれる麺が常食と為り、ヨーロッパにもスパゲッテイーやパスタ等として伝えられた。
  東シナ海を渡って日本には遣唐使によって「うどん」、「蕎麦」や「素麺」等として伝わった。朝鮮半島では「カルククス」や「ネンション」と云う麺が食われている。当然、インドシナ半島や東南アジアの島々にも伝わった。世界各地で食べられている食文化である。

ー世界に広がる麺文化ー

  筆者は、中国の湖北省黄石市という武漢からバスで二三時間の街に恋人を持つ???。彼女の名は易霞というが、筆者が勝手に恋人??と思って居るだけで在る。否、此も一概にそうとは言い難い。と言うのは"美女に惚れっぽい”のが筆者の好い処で、"厭きっぽい”のも筆者の得手とする処で在るからである。要するに、"執着が無い、拘りが無い”のが好い処で在り、"忘れて仕舞うのが早い”のが筆者の長所である。女房に言わせると、"AB型だから・・・”と為る。何故AB型が厭きっぽいのか判らないが、A型の女房の「一事に対する執着度」に比べると確かに拘りが薄い。黄石市の恋人?の話が何故、血液型に発展するのか??此も筆者の「気の変わりよう」の早さを表す証明かも知れない。
  易霞女史とは仕事で知り合い、今も仕事の関係で在るが長い付き合いで彼此、十年を越す。彼女の方が、筆者を恋の対象という目で見ず、只の男否、男とも見ていない事、其処等辺に転がっている石の如く捉えて居る事が筆者にとって彼女が、"唯一、気が変わらない恋の対象”で在る理由かも知れない。

  彼女は美人である。背は百七十厘、スラッと真っ直ぐな脚足で上海のファッションストリート南京東路を闊歩する姿は正に、現代の西施で在ると思う。彼女の徒名を「西子」と筆者は名付けた。「西子」は中国では「西施」を指す。易霞女史は上海の街が好く似合う。やはり、現代版西子で在ろうか。
  筆者は中国に行く理由を作っては易霞女史"西子”と逢瀬を楽しむ???。国際的な遠距離恋愛??である。恋故に、西施に国の滅亡迄をも捧げた呉王夫差にも"負けない恋心で在る”と筆者は思う。只、惜しむらくは筆者が古稀を越えた老人で、西子は四十歳代の女の盛り真っ直中であるという点である。許されざる恋で在ろうか。当たり前の事は間違い無い。
河原で洗濯する女の太股を見て雲から落っこちて、腰を抜かした久米の仙人の様に、年寄りの腰抜かしに陥るのが、「落ち」で在ろう。

  易霞との逢瀬を楽しんで黄石から帰国する際には、上海に一泊して日本の中部国際空港行きの飛行機に乗るのが常で在る。上海では老舗の古書舗に寄って拓本や美術書、現代中国語に翻訳された古典等を手に入れて、重い鞄を抱かえて定宿王宝和大酒店の在る南京東路駅から地下鉄と磁気浮車{リニアモーター}を乗り継いで上海浦東国際飛機場から帰って来る。此の上海に於ける古書買い出しツアーを筆者は「白文先生文籍漁りの旅」と題して大唐彷徨い旅行を楽しむのである。


  面白い事に今度は、日本から海を越えて拉麺文化という新しい麺文化が中国に伝わり、「インスタント拉麺」として或いは、「拉麺」という看板を引っ提げて上海の老舗街に列ぶ。上海の老舗街の或る拉麺店ではコロッケも売られ、若者の間にちょっとしたコロッケブームが起きていると云う。麺文化を研究すると面白いかも知れない。