今でも独自の文字や言語を持っている民族が多い。史書にも、漢民族の中央政府と対等の力を持って大規模な戦争を起こした事を表す記載が見られる。我々日本人も東夷の更に、東の果ての民族,倭族の末裔といえる。但し、此処では漢民族以外の民族を総称して少数民族と呼ぶことにする。
  少数民族問題は、今日的な理解では民族紛争という言葉が当て嵌まる。中国には国家の範囲を意味する言葉は無かった。中国とは世界を指す。中国という国家の範囲は存在しなかった。皇帝は全世界を統治する存在で、辺境という言葉は皇帝の直接統治が及ばない地域を指す。辺境も当然皇帝の支配地である。つまり、全世界が中国なのである。少数民族も皇帝の民である。彼等の
棲んでいる世界も皇帝の支配下で無ければならない。
  日本に漢の光武帝から貰ったという「漢倭那国王」と印字された金印がある。「魏志倭人伝」には倭国の女王卑弥呼が「親魏倭王」の金印紫綬を頂いたという記載が在る。当時、日本は東夷の東の果ての倭と呼ばれる地域に棲まう部族国家が寄り集っていた。此の印綬の下賜という事実は、地の果ての「倭」も皇帝が治める地で、卑弥呼女王も倭の那国王も皇帝の許可を得て、国土に君臨出来たので在る。
  唐の時代、日本に帰る晁卿衡
{和名阿部仲麻呂}を送る王維の詩に「・・・。万里空に乗る如く 国に向かうは惟だ日を看 帰帆は但だ風に信す 鰲身は天に映えて黒く 魚眼は波を射て紅 郷国は扶桑の外に 主人は孤島の中に 別離するは方に異域に・・・」とある。そんな扶桑の外の孤島の中まで皇帝の支配地であった。皇帝の支配が及んでいなければならない地であった。皇帝の許可を受けて倭地方の一部族国家那国の王が治める地だった。それが「漢倭那国王」や「親魏倭王」という金印なのである。
  此の考え方は少数民族にとっては迷惑な話である。彼等は先祖代々平和に暮らしていた。国家も小規模ながら設立させて指導者もいた。其処へ突然、皇帝の使いが軍を率いてやって来た。"お前等は皇帝の民だ。皇帝の地に住まわせて遣っているのだ。朝貢をせよ。しなければ武力に訴えるぞ”と宣告される。告げられた方は何の事か?判らない。”強い軍隊が来て土地を採り上げた”と写っただけである。兎に角、考え方はどうであれ、漢族の中央政府は少数民族を統治するのにかなり手こずったようである。”軍が進駐すると大人しくなる。軍が退くと暴れ出す”という情況が昔から幾度となく、繰り返えされていた。太守として赴任した役人や官吏の中にはあくどく私腹を肥やした人も多かった様である。

  益州を占領した劉備と孔明は、派遣する人材を選んで南夷の人達の慰撫を計った。蜀漢国に棲む少数民族が居留している地域は西方と南中である。西は羌族の血を引く馬超の支配地であり、彼の努力で蜀国と戎族や羌族の関係は平穏に推移していた。
  西方に比べて南中方面は波風が絶えず、小さな叛乱の発生が絶え間なく続いていたが遂に、全面的な南夷諸部族の叛乱に到る。更に南夷人達の尊敬を集めていた勇猛な孟獲が兵を挙げるに及んで、孔明自らが南夷征伐を決意する。
    以下、「孔明の南征を考察する」巻二に続く。

  構造改革、行政改革を成功裏に成し遂げ、国内の諸問題をかたづけた孔明は、劉備の死の際に託された最後の大仕事、「復漢」つまり、"魏王朝を討伐して蜀漢王朝による天下統一”を果たす為の北伐準備に取り掛かった。先ず、小さな反乱が頻発している南中地区の諸少数民族等の不満を解消して沈静化させ、情勢を安定化せねば為らない。南中地区は金や銀、銅、錫等の鉱山資源や農耕牛、戦馬が豊富に産出する。此等の物資は蜀漢国の国庫を潤す。更に、戦いに長けた彼等を味方に取り込む事は戦力の増強に結びつく。斯くして孔明自ら、南夷征伐の出馬、有名な「南征」である。
  当時の蜀の周辺には異民族が多く棲んでいた。此は今も変わらない。貴州省と雲南省は当時、蜀漢国の南中と呼ばれた地域である。白族や布依族、侗族、哈尼族、苗族、瑤族、彝族等の百万を越す人口を抱える民族から傈憟族や納西族等の五十万に満たない民族、更に阿昌族や怒族等の様に一万前後の現在、中央政府によって認められている中国全体の五十五の少数民族の内、二十五の民族が分布している。孔明の時代から今に至る長い歴史の間には絶滅した民族や人口が少ない為に一つの民族としての存在が認められず、大きな民族の内に含まれる小さな民族も実際には多数あるかも知れない。北狄と呼ばれる中国の北方の騎馬民族は一時期、華北に大帝国を建国して華南の漢民族帝国と対峙した。蒙古族や満州族は全土を支配するので在る。西南の民族は独自の宗教を信じたが、北方や西方の民族は仏教を心の拠り所とし、漢族の儒教や道教に対する文化を築くのである。
  少数民族という呼び名を漢民族以外の諸民族に当てはめる事に筆者は大いに、抵抗を覚える。長い歴史の間に征服され、同化され、力を失って少数民族と化しては居るが、昔は独自の文化や宗教を持ち、中央政府と戦うまでの力を有する部族国家を形成していた。

「屁放き老師三国志に遊ぶ」孔明篇

巻四の3

孔明の南征を考察する(民族紛争巻一)

、心攻むるを上と為し、城攻むるを下と為す!

「孔明の南征(民族紛争)巻一
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