日本人に限らず、東洋の人々は自然の中の人間、自然の一員で在る人間という捉え方で自然に対した。此は西洋、キリスト教的文化つまり、”神様に選ばれた存在で在る人間、自然に君臨する存在が人間で在る”という考え方と大いに意を異にする処で在る。
此の自然の一員である人間という考え方から輪廻転生が生まれ、人と動物の関わりが生まれ、多くの伝説や昔話が生まれ、其れ等の物語が子供達に眼を輝かさせ、耳を傍立てさせた。日本人は狐に対して特別な感情を抱いていた様で、狐が取り憑いた咄や狐を母に持った為に超人的な力を得た安倍清明の様な人が怨霊跋扈する都に活躍をした。他にも烏と交わる。飼い主の受けた虐待死に猫が仇をとる咄、長者の娘の元に毎夜通う子蛇等々、様々な動物と人間の関わりが伝えられる。此の巻2の頁では多くの場合悲劇に終わらざるを得無かった人と動物の恋、哀しくも美しい沢山の物語から二題紹介したい。
中国の上海と南京の間の南京の手前に在る鎮江に金山寺(江天禅寺)という東晋時代に創建された古刹がある。此の寺は「白蛇伝」という故事で有名である。「白蛇伝」は、白蛇の精・白娘子と呼ばれる美麗な婦人と美男の若者・許宣の恋物語である。因みに「娘子」とは年齢に関係無く、ご婦人に対して敬意を込めて呼び掛ける中国語である。此の文では通称「白娘子」本名「白素貞」を「白夫人」と呼ぶ事にする。
「屁放き爺さんの恋談義」巻2
白夫人は峨眉山清風洞で千八百年間、修行をして神通力を得た白蛇の精で、彼女に仕える「青々」も五百年の修行を経た青蛇の精である。彼女等は、地上を見物しようと人の姿に変身して白夫人は「白素貞」、青々は「小青」と名乗って杭州の西湖の畔に降り立つ。其処で雨に降られた二人否、二匹は傘を差し掛けられ、船で西湖を渡して呉れた美青年・許宣と出遇う。許宣と白夫人は忽ち、恋に落ちて幸せに暮らし、子まで為すのである。
幸せは続かないのが世の常で在ろうか。二人の棲む家にただならぬ妖気を感じた金山寺の僧法海が許宣に、端午の節句には白酒を飲んで邪鬼を払う風習があるが、白夫人に白酒を飲ませる様に勧め、酒を飲まされた白夫人は神通力を失って白蛇の姿を現す。自分を恋い慕う美しい婦人が年を経た白蛇の精と知って金山寺に逃げ込む許宣。許宣の愛を失う事を恐れて彼を追って金山寺に遣って来る白夫人と彼女の忠実な召使いの青青。許宣を婬邪の手から救う為、金山寺に彼を匿って法力を駆使して白夫人と青青の入山を阻もうとする法海と、彼に呼び集められた四天王や梵天、帝釈天等の仏法の守護神達。自身に備わる魔力、妖術を駆使して豪雨と雷、稲妻を呼び寄せ更に、長江の堤を決壊させて金山寺を濁流の底に沈めようとする白夫人と青々の二人否?二匹?。魔力と法力を駆使して互いに闘う場面が圧巻である。
此処は中国の古典芸能京劇「金山寺」のクライマックスであるが、此の物語は日本の紀州{今の和歌山県日高市}道成寺の鐘に纏わる物語、能「道成寺」や長唄「京鹿の子娘道成寺京」等で有名な安珍清姫の悲恋物語に好く似ている。旅の僧・安珍と彼を恋い慕って後を追う長者の娘或いは、長者の妻・清姫。大河・日高川に追跡を阻まれて大蛇に変身して川を渡り尚、安珍を追い焦がれる清姫。最後は隠れ入った道成寺の釣り鐘と共に安珍が、清姫に焼き殺されて大蛇は何処かへ消え去る。此が「道成寺」の物語である。恐らく中国の金山寺に伝わる話を日本を舞台に書き換えたもので在ろう。「白蛇伝」の最後の場面は、「道成寺」の鐘と共に恋人迄をも焼き殺すという残酷な結末と違って・・・。
水没して行く金山寺の欄干に縋り付いて助けを求める許宣の苦しむ様子を雲の上から見た白夫人は、青々が止めるのも振り払って彼を救い、自らは濁流に巻き込まれる。という筋で在る。
仙人の棲む峨眉山で神通力を得た白蛇の精は、地上では"恋をする喜びと、恋を成就できない苦しみ”を知るのである。白夫人を長江の濁流から救おうとした青々も濁流に呑み込まれて命を失うという物語で在る。
此の咄も含めて、白蛇と美青年の恋物語には沢山の結末が用意されている。一つは、金山寺の雷峰塔に閉じ込められた白夫人は、青々の働きで救い出され、峨眉山に戻る。又別の物語では、白蛇の姿を見て死んで仕舞う許宣の為に仙山で霊芝を奪い、蘇らせるという・・・。様々の話がある。何れにしても、哀しくも美しい恋物語を聴く珈琲ブレイクで在る。
昔、故山口淑子が主演した「白夫人の妖恋」という映画は、寺の欄干にすがって助けを求める恋人を救って自らは濁流に捲き込まれるという物語で在った。許宣を往年の美男俳優池辺良が演じていたが、こんな昔の名画を思い出すのは、老人だけであろう。
筆者は此の「白蛇伝」や「道成寺物語」の様な美しい、幻想的な物語は大好きで在る。此の頁に続く頁も美しくも哀しい、其れでいて恐ろしい物語を紹介したい。
美青年に恋をした白蛇の物語ー