蛍狩りと盗み酒
哲学の路に蛍を狩りに行く。午後8時を過ぎてやっと、青白い灯が一つ、か細く瞬く。連日の好天に蛍も仲々、本格的に乱舞する気分に為っていないかも知れない??「蛍狩り」とはとても言えない蛍見物で在る。もっと、晩い時間でないと出て来ないのか??偶々出会った京都女子大学のお嬢さん方、三人と共に蛍狩りをした。新潟、富山、静岡出身で寮や下宿棲まい。「松原通りの高瀬川でも見えましたよ」と言っていた。「大学院生で、5年目の京都暮らし・・・」とも。
幻想的なか細い、儚い灯が瞬く。青白い瞬きが灯っては消える。疏水の闇をふらつくように飛び移動する。そう言えば幼い日、母親に連れられて蛍狩りをした事を想い出した。小さな金籠に捕まえた蛍を入れて電気を消した蚊帳の中で、蛍を瞬かせた事があった。もう、70年も昔の事である。我に帰ると疏水沿いの哲学の路。京都だねえ。こんな夜は浴衣姿の美女と団扇を手に・・・。恋が進むんじゃないか否、新しい恋が始まるかも知れない。乙だねえ!!而かも、人が少ないのが好い・・・。ムードに浸っていたら横に女房婆さんが居た。女房も美女だったんだと思った途端、トイレに行きたくなった。隣に女子大生が居るから暗がりで・・・とは行かない。午後8時半頃、早々と蛍と女子大生に失礼して退散。9時半頃に帰宅。ウイスキーの水割りを一杯、女房が横を向いている間に盗み酒を愉しんで其の儘眠ってしまった。盗み酒も普通の酒も、酒の味や酔い心地は変わる筈はないのだが、何故か盗み酒は美味い。そう言えば、お茶の宗匠をしていた伯父貴が朝から伯母さんの目を盗んでコップの冷や酒を飲んでいたなあ。何年前の事だろう。二人とも当然・・・。彼の世でも、盗み酒をしては叱られているんだろうか?否、茶会でも一杯、コップ酒を一気飲みして客の待つ茶席に出ていた。花より団子じゃないが、蛍よりお酒否、盗み酒???蛍狩りは、もうちょっと晩く行ったら好いんじゃないかな。
哲学の 路に儚き 蛍の灯 消えて水面に 街灯漂ふ
京疏水に 消え灯りつつ 蛍火の 雨無き五月雨 恨むがに儚き
千日回峰行中の阿闍梨様
阿闍梨様 千日回峰の 厳しき行も 僧侶民草の 護持得て行く
千日回峰、京都大回り行真っ最中の阿闍梨様を道端に拝む
赤門と呼ばれる大門脇の塔頭、法伝寺から千日回峰行の最後の行「都大回り行」で在る100日行の真っ最中の阿闍梨様が出て来られ、蹲る信者等に御加持を為される場に行き合わせた。彼を護持し、歩行を支える山伏姿の援護僧侶達に立ち去るようにと促され乍らも、本堂に続く山内道に踏み止まって阿闍梨御一行の京都回峰に立ち去るお姿を、手を合わせてお見送りさせて頂いた。其の時、阿闍梨様の疲れ果てたご様子の目が叩頭する私を見、目と目が互いに出遭う嬉しい瞬間を頂いた。御加持は頂かなかったが何か、有り難い徳を頂いた、心がすっきり晴れ渡った心地の真如堂参拝で在った。
帰宅後、真如堂に電話で問い合わせた処、7/4で千日回峰の内の「都百日行脚」を満行為される釜堀光源師で在るとのお答えを頂いた。「師は既に9日間の不眠、不飲食、不臥等の千日回峰中の最も苛酷な行を終えられて阿闍梨様に為られたお方ですよ」と、電話口の小母さんから少し、威張った様子でお話を伺った。菩提樹の黄色い花の最期に咲き初むる沙羅の花、真盛りの花を咲かせる紫陽花の様々な彩り更に、花々に包まれた千日回峰満行間際の阿闍梨様・・・真如堂参拝は素晴らしい一日で在った。
京都は、私に色んな出来事を与えて呉れる。色んな史跡が、色んな機会に出現為さる。今日の様に、千日回峰修行中の阿闍梨様に出会うなんて事は長年、京都に棲まい為される方々にとっても滅多に無い事で在ろうし、棲まい近くの石田之杜「天穂日命」神社や平城の都から大坂山に続く奈良時代の東国街道の新発見や、応仁の乱の主役を演じられた日野富子女史の生誕地「法界寺」と親鸞聖人の「誕生院」の在る日野の郷は我が家から20分の散歩道に在る等、京都に越して来たお陰で出会う事や発見、経験が多い。
孔明天を占う
「都の辰巳に棲まいして」
五月雨の合間の巻
京都はんなり歌草子
我が家の近くの歴史的なお社、「石田の杜」発見ニュースを直哉に送った。返信は、「そういった価値のあるしかし、忘れ去られた遺跡もお父さんの様に知識があるから驚き、楽しむ事が出来る。興味の無い人達にとっては今日の食事以上の価値もないものなのです。だからお父さんお母さんにとって今の居住地は大当たりと言うべきですね」と褒め言葉を述べて呉れた。「おい、こんなお褒めのメールが直哉から来たが正に、その通りや」と女房に見せたが、「名前をお呼び」と素気なく追い払らわれてしまった。
そう言えば、「方丈記」の鴨長明の庵跡は日野の郷の奥山に在ると云われる。「徒然草・神無月の頃」段に記される或る隠者や、古今集に採られた「我が庵は 都の・・・」という隠遁の歌を詠んだ喜撰法師の庵も此の辺りに在ったかも知れない。
多くの発見に出遭うのは、其れだけ多くの機会を京都の彼方此方を彷徨い歩いて居るという事かも知れないが「ほんまに有り難い、嬉しい事どすわ!!」。 平成29年6月20日(火、晴)
孔明、雨間の天を占う
真如堂の菩提樹の花鑑賞
今日も暑く、からから天気の一日で在った。「梅雨の中休みだよ」と女房と笑い会う。しかし、京都は、私に何らか?の機会を捉えては何か?の出来事を与えてくれる街で在る。此の様に私に感じさせた事件は後に記すが・・・。先ずは真如堂参拝で在る。
朝から真如堂御参拝に「しゅっぱちゅ~~」。失礼!真如堂は通称で正式には「鈴聲山真正極楽寺」と云う天台宗の大古刹で在る。旧三井家、越後屋の菩提寺でも在る。「越後屋、お主も悪よのう、でへへへ~」。・・・否、失礼。先日読んだ「真如堂の菩提樹の黄色い花が満開だ」という朝刊記事を訪ねる為の参拝で在る。地下鉄東山駅から白川通りを走る5番バスに乗って「真如堂前」停車場から真如堂に通じる急坂を、女房の手を引っ張ってよじ登る。よじ登るという表現がピタリと合う急坂で在る。
真如堂前バス停は大学受験浪人時代、予備校への登下校で降り乗りした経験が在る。約60年も昔の事で在る。女房に言ったが「何年前のお話?」と冷たいもので在る。其の京大向け受験予備校「京都学園」は今は無く、マンションや建売住宅に代わっていた。
吉田山東麓の急道を登って行くと、階段が横道に逸れて急坂を覆う様に聳える。真如堂裏参道近道で在る。階段を登り切るとアジサイの満開の色とりどり、花の形も様々の種類の花花花・・・、今を盛りと咲き乱れる紫陽花のしっとりした群生が、息を切らせる我々を迎えて呉れた。女房は喜んで携帯電話機のシャッターを押す。「ポッピーン」、「ポッピーン」・・・・は手機のシャッター音で在る。
本堂前の菩提樹の花はお終い近いが未だ、匂いを漂わせている。菩提樹の花は始めて見る。「へ~、此れが菩提樹の花か?」、黄色い群花で樹枝一帯に咲く様で在る。菩提樹前の参観路の反対側の沙羅が咲き始めている。蕾を沢山、爽やかな緑の葉陰に抱いて恥ずかし気に5、6個の白い、少し開いた花を見せている。平家物語の冒頭の句「沙羅双樹の花の色は・・・」が浮かぶ。日本で沙羅双樹とされるのはナツツバキで在るが、其の朝開いて夕ベには散り落ちる様は平家物語冒頭の「世の儚さ、人生の虚しさ」を唄う句にピッタリで在る。咲き初める沙羅、菩提樹の最後を彩って咲く黄色い花の甘い香りが大寺院の本堂を荘厳する様は印象的で在る。其の向こうに三重の塔が背景を為してボーっと佇んで居る。
本堂に昇って御本尊の阿弥陀様に合掌、叩頭してお詣りする。綱吉公とご母堂桂昌院様の寄進という阿弥陀、千手観音、お不動様の三体は秘仏で在る。11月には大涅槃図が掲げられ、11/15には秘仏の本尊三体が一般公開される。山内を被う紅葉と共に拝観者で大いに賑わいそうで在る。朝、其れも早朝に来れば、紅葉狩りも何とか為るかも。
其れは其れとして真如堂を辞する大門前の事・・・・・。
