葵祭を馴染みの料亭二階で拝観する。二階座敷の障子を取り外した葵祭鑑賞の桟敷座敷を娘将は準備していて呉れた。更に、彼女は祭り行列の通過時間を考慮して、簡易祭膳を千円で準備すると言う。若いだけ在って女将と違う様々なアイデアーで経営に勤しんでいる。
  葵祭鑑賞に来られる女房の友人にお持ち帰りして頂く村上重商店の京漬け物を手に、京都駅新幹線中央口で彼女の到着を待つ。
  地下鉄烏丸線で料亭「照月」へ。襖と障子を取り外して開かれた二階の大広間の中央のテーブルを窓際に移してビールと鴨膳を食いながら祭り行列のやって来るのを待つ。昼のお酒は好く回る。少々、酔い気味。
  料亭照月の葵祭二階席は筆者の発案で在る。女将さんの協力を得て始められたが、昨年は催されず、今年の祭見物会は二回目で在るとか。発案者としては嬉しい限りの葵祭鑑賞会で在る。
  娘将が通う立命館大学中国文学研究室の方々と大阪の小母さん、恋人外人、その他老夫婦と筆者等の計十三名。「馬々虎々の入りやねえ」と娘将と笑い合う。「言い出しっぺとしては、好かったよ」とも。
  斎王(今は斎王代)の賀茂のお社詣でという千年を超す平安の王朝行列は750メートルに及ぶとか???雅な平安絵巻が大通りを紗なり、紗なりと行く様を盃を手に鴨川膳と名付けられた弁当を食いながら眺める。
  「我ながら巧いアイデアーを提案したものだ」と独り、悦に入って生ビールを二杯、日本酒を二合飲んでしまった。客の五代子女史は生ビールを二杯飲まれてご機嫌で、葵祭を愉しまれた様で在る。「好かった」
  彼女の土産は自分で作ったイチゴジャム二瓶、ご主人からはうすいエンドウ豆を頂いた。うすいエンドウ豆は明日から始まる高野山一泊参籠同窓会から帰ってから炊いてくれるとか??手作りジャムは酸味が少し、効いた手作り独特の美味さ、味見をさせた娘将も「美味しいわ」と言う。しかし、此の美味しいジャムも、大方は女房殿のガリガリの腹に収まる事に為る。
  女史は葵祭鑑賞後其の儘、新幹線で知多のお宅に日帰りされた。夜、女房の手機にお礼の電話が入ったそうだ。
  平成29年5月15日(月、晴)
    料亭の 上楼に眺みし 祭列 千年経しとふ 其の雅さを    
「北野天満宮の参道に東向き観音寺という寺が在るが、其処に土蜘蛛の墓が在りますよ」と物知りを自慢した。「へー、そうですか?」。  神事終了後、本殿にお詣りを済ませて帰る途次に未だ、居られた彼女を見付けて「お気を付けてお帰り下さいね」と声を掛けて別れた。京の都に夏が来た。                          平成29年5月5日(金、晴)端午の節句、こどもの日
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  蹴上げの京都市浄水場の躑躅花特別開放を見に行った。無数の躑躅が初夏の日射しに映えている。京都市浄水場は琵琶湖の水をトンネルとサイクロンを利用して山を越して来た水が此の浄水場で浄化して京都市民に供給する。壮大な工事が明治時代に為されたもので在る。お陰で我々は水を飲める。京都の名所で在る疏水は琵琶湖の水が流れている。
  疎水は明治の中頃、南禅寺前の辺りから今の、動物園の辺りに広がる地域に工業団地を建設の為に琵琶湖から疏水を建設して大量の水を引き、原料を琵琶湖を利用して大津に運び入れ、建設されたインクラインを利用して工業団地に搬入し、其処から疏水や高瀬川の水流を利用して宇治川に流して大阪に送り込むと云う壮大な計画が建てられた。しかし・・・・。
  東京遷都、其れに伴う大財閥の移転更に、鉄道建設による流通手段の変化等が原因で,此の遠大な計画は立ち消え、疏水やインクラインが京都の東山の風景、南禅寺界隈の庭園群とされて今日、我々の眼をを愉しませて呉れるので在る。京都の街並みを廻って琵琶湖の水を流す疏水はは、哲学の道の脇を北向きに移動して松ヶ崎の辺りの水溜まりに集められ、各流れに別れて南下する。一流がサイホンを利用して高野川を潜って下鴨辺りを流れる。半世紀の昔、筆者が大学近くで見た桜並木の疏水の水で在る。
明治の息吹、京都を護ろうとした先人の心意気に触れたゴールデンウイーク最後の一日で在った。   
平成29年5月7日(日、晴)

  昨日は月曜日の休館で観る事が出来ず、スゴスゴと帰って来た海北友松展を鑑賞。狩野派とも等伯とも違う画風で迫力在る画風は武士に生まれた気風によると言われる。しかし筆者には正直、其れは感じられない。見る者の感性の違いで在ろう。しかし
迫力在る龍の雰囲気は今まで見たどの龍とも違う雰囲気を帯びる。以前、参拝した建仁寺でキャノン社撮影の写真から復元された襖絵の龍を見た事も在って、親しみを覚えると同時に、「うーん、成る程な!」と大いに納得させられた展覧会鑑賞で在った。
  米国に流出している大作が何点か?里帰り展示されている。此れも嬉しい事で二度とお目に掛かれない作品で在る。感激の美術画鑑賞と為った。買って来た海北友松のカタログを見ながら画の稽古を始めますかな???
    平成29年5月9日(火、曇のち雨)
「都の辰巳に棲まいして・・・・」
  共産党の活動家??射場さんから誘いを頂いて「共謀罪」反対のデモに参加。爺さん婆さんが100名前後で、意気の上がらない事夥しい。次回の衆議院選挙に共産党から立候補予定の金森とおるさんや市会議員の西野女史とお会いして握手を交わしたが、共産党は此の分では、次回の総選挙でも躍進は難しかろうと思う。若者が少ないと言う事は、民青同の活動が弱いと云う事で在ろう。
  「デモは久しぶりで楽しみです。学生時代を思い出します」と言うと「そんな激しいデモじゃ無いので・・・」。「成る程なあ・・・」と納得。 途中の行進では、「シュプレヒコール!」と女性リーダーの呼び掛けに、一応「おー!」と声だけは勇ましい。「共謀罪反対!」。「安倍首相は憲法を守れ!」・・・「安倍さんは止めろ!」。「何故、安倍に「さん」なんか附けて呼び掛けるんだ。呼び捨てだろう」と思いつつ、私は「安倍惚けは辞めろ」と「さん」の代わりに「惚け」を附けて叫んだ。
  しかし、私も含めて間もなく此の世から消える爺さん婆さんが幾ら「辞めろ」と叫んでも安倍と管は「ふ~ん。死に損ないの爺婆がほざいて居るわ!」ちゃな事で在ろうか。「
若者よ!立ち上がれ!しっかりせー」と叫びたい。        平成29年6月4日(日、晴)

   或る夕焼け空の朱かさに誘われて認知症的彷徨の一刻   今週は此れと言った行動や活動??も無く、事件??も起こらず、一日中PCやTV相手に過ごす日が多かった。昨日(6/8)、「近畿地方は梅雨に入った様だ」と自信の無い梅雨入り宣言が為された。「自信の無い」と言うのは、梅雨入り宣言の翌日つまり、今日の天気は晴天で在った。此の晴天を指してテレビのお天気お姉さんは「梅雨の合間の晴れ日」と言う。一昨日迄は全然、雨が降る気配も無かったが昨日偶々、雨が降ったと思ったら早々とと梅雨入り宣言で在る。偶々の雨天日の翌日の晴天を「梅雨の合間」??と言う。気象庁も好い加減なものである。認知症爺さんじゃ在るまいし・・・。「平年並み」に拘っている様に思えて仕方が無い。
  或る日の夕方、フラフラと無意識的に散歩に出た。認知症を患う爺さんや婆さんが行方不明に為るのは此の様な雰囲気で在ろうか??しかし、目的も無く彷徨う、気が付けばこんな処に来ていた。何処?を如何?歩いて来たか?「あれ?こんな処に来てたぞ」とふと、気が付く。こんな事は無いだろうか?其のフラフラ、認知症的彷徨いの結果、我が家の住居地番「石田森南」の謂われを知る事に為ろうとは、認知症爺さんの「フラフラ歩きも楽しい、役に立つ事があるんだ」と再認識をした一刻で在った。
  此のふらふら認知症的散歩で見付けた「石田之杜神社」については、「おりふしのお話」中の「石田の杜の万葉歌碑(orifusi5-3)を参照して下さい。                                         平成29年6月9日(金、晴)~6月11日(日、晴)

   ふらふらと 何処に行きしか 此の爺い 心配ご無用 楽しき散歩じゃ       
仙洞御所の藤棚
「五月雨の合間の出来事」の巻
(diaryessey4-2.html )へのリンク
「夏は来ぬ・・・・・」
  藤森神社の駈馬神事を拝観する。駈馬神事は桓武天皇の同母弟早良親王が蝦夷討伐を銘じられた時、藤森神社に必勝祈願をしたのに始まる。因みに桓武天皇と早良皇太子の母御高野新笠が渡来人の血を引く。此れは「天皇家の血統にも半島系の血が入っている」と、現天皇も談話で話された。
  駆馬神事は180メートルの参道を全力で奔る馬つまり、駆馬の背で様々の馬術を見せる神事で、横乗りや奔馬の背に隠れて敵陣を突破する乗馬技術、奔馬の背で字を書く等の当時の戦で実際に行われていた馬術を藤森の神に奉納する神事で、奔馬の迫力は参道脇で立ち見する人々に溜め息を付かせるに十分で在る。3頭の馬が用意されていたが、1頭は御機嫌が悪かったか、2頭が馬術を演じる事に為る。
  片脇に居られるお嬢様がカメラを弄って居られる。お聴きすると「四日市の博物館に勤めて居て、出身は和歌山の白浜です」と話され、昨日(5/4) は壬生狂言を見、一旦四日市に帰って今日(5/5)の朝また、入洛されたと話される。恐らく四日市博物館の学芸員では無いかと想像した。彼女の明るい声に吊られて此方も、「私は和歌山出身で、桑名に住んだ事が在りますよ」と、四日市で働いた事を話した。急に四日市や桑名が思い出された。「壬生狂言は毎日演目が変わります。今日は土蜘蛛です」と話される。
雲中に龍のたうち躍る
ー瓢逸白文京都はんなり歌草子ー第四輯