天下の争いを縫って加賀百万石を護った賢女、おまつ女史の計らいで在る。
  現代の日本女性も此の様なエピソードから教訓を得て、自らを高めて欲しい。特に、我が女房殿には・・・・。しかし、怖いからこの言葉は呑み込んで置こう。  
                                       平成29年4月5日

  遊歩道の桜は、落花が始まっている。UR団地の風景は何処も同じ風景で在ろうが、京のURと為ると不思議な事に何処か?雅に感じる。植えられた場所によって、花が違う様に感じるのは、人間の得て勝手で、散りつつ花は嘲笑って居るのと違うだろうか??
   吹く風に 誘われ散り降る 桜花 踏み惑ひつつ URの小径                       
   風に散る 花の彩は 変わらねど 京の路なれ 雅に覚ほゆ
                       4月9日


  植物園周辺は園内も園外の鴨川堤も桜が満開である。「此が京の桜や!」と女房に自慢しつつ、何故か、西行法師に想いを馳せる。西行が鴨川堤の枝垂れ桜を見、其の下に群れる老若男女「更に、着物姿の外国人を見たらさぞかし、驚くだろうなあ?豪華な花、新葉の柔らかさを伴わない桜花を見たら、どんな歌を詠むだろうか?」と想った。「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける」。筆者の疑問に対する答を彼は残して居た。西行が歌人として活躍していた当時も今も、満開の桜に人々が群がったのは同じで在った様である。唯、花の種類は違った。我々が見る染井吉野種の薄紅色、ほんわかとした暖かみの在る薄紅色の花が群がり咲く、豪華では在るが群花が木を覆い隠す如き、花のみの桜は西行の当時は無かった。江戸時代染井村で、「江戸彼岸桜」と「大島桜」を掛け合わせて生み出された新種で西行頃には無かった。当然、彼の目には映らなかった。
  西行法師が若し、染井吉野種の豪華では在るが、新芽の薄緑や枝も見えない程に群れ咲く桜花に、興を醒まされたかも知れない。「願わくは 花の下にて 春死なん 其の如月の 望月の欠けたる頃」と寧ろ、「お釈迦様の死去された(2月16日)頃に、自分も逝きたいと思って居たのでは無かったか?盛りの桜は彼にとって偶々、死を飾るだけのもの、願う死期が桜の咲く頃の如月の望月の欠けたる頃に重なっただけでは無かったか」と想う。桜を愛した大歌人だけに、「満開の桜の下の死」という穿った見方をされているのでは無かろうか?筆者は思う。「お釈迦様の花祭り(誕生日の4/8)と花供養(逝去日の2/16)という取り合わせを西行は詠いたかった」のでは無かっただろうか。

   鴨川に 枝垂るる盛りの 桜花 西行為れば 如何に詠むらむ
   鴨の水 比叡木々の芽 如意岳は 借景前景 真盛りの花々
   満開の 枝垂るる花に 桜棚 鴨の岸辺に 傾ぶくまでに 
   白に紅 襲の彩して 桜花 枝垂るる賀茂の 川辺歩み在り 

  植物園の鴨川口を出て、フォルクス北山店で昼食後、鴨川堤を女房と散歩。河原のベンチに坐って満開の花を支えて傾きそうな花棚を眺める。花だけに非ず、東山の春緑や聳える比叡山、植物園の木々の緑が借景、前景と為って一つの画が成り立つ。前記したように西行法師の「桜を愛でる」歌も、「薄緑の新葉が無ければ、味も素っ気も無いに違いない」と講釈を述べたく為るのは頑固爺いの屁理屈で在ろう。                                                平成29年4月13日
  多くの歌人の中でも事の外、桜を愛したのは西行法師である。「花見にと 群れつつ人の 来るのみぞ あたら桜の とがにはありける」と花見に群れ集う人々の騒がしさを詠み、「ねがわくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月の頃」と死後も永遠に桜を愛でて居たいと歌に願いを詠み込むので在る。
  斯くして古今東西、此の国に生を受けた人々は今も尚、満開の桜、盛春の風情を愉しむので在る。


 「迷子の迷子の爺いさん、やーい!」
  夕方、山科川の土手を散歩する。ソメイヨシノの蕾が膨らみ始めている。「もうチョット待てや」と言っている様で在る。クローバーを植え替えている有馬某氏(勿論知らない間柄で在る)と一時間ぐらい雑談して別れる。何を喋ったか?忘れた。帰宅したら女房が「行方不明で、何処に行ってたの?」と怒っている。連絡が取れないから心配したそうだ。
  しかし、この言葉は文法的に奇怪だ。「行った処が判らない。連絡も無い。だから、行方不明だ」という。しかし、女房殿が行き先が判っていないだけで本人は居る処が理解出来ている。女房に連絡せず、一人で勝手に行動したに過ぎない。携帯を持ってなかったから連絡が出来なかったに過ぎない。しかし・・・・。
  連絡が取れないので心配したそうだ。「今後は携帯と名札を付けて出掛けること!」と厳命を受ける。「大きな字で名と住所、連絡先を書いた札をぶら下げて歩いてたら正に、認知症爺さんやがな・・・」。「フラフラ、何処へ行ったかわからないのは認知症爺いだよ」と手厳しい。日記に今日の出来事を打ち込もうとするが、PCも認知症に為ったのか?「ヘ(^^ヘ)))。。。フラフラァ・・・・・・・・」こんな訳の判らない文が突然、画面に表れた。PCお嬢さん、お前も惚け始めじゃないのかい。「お前って言うな・・・・エイプリルフールだよ」

   飄々と 何処に行きし乎 惚け爺いは 心配御無用 愉しき散歩じゃ          平成29年4月1日

  近所の山科川の堤防で雌の野良猫に懐かれ、30分ほど遊んで貰う。雌猫は何度も身体を私に擦り付けて匂い付けをする。「俺は野良猫の所有物?家来に為っちゃった」という事に??                      4月3日
   春来たる 橫たふ野良猫 開き初むる 桜に呟く 皆好い子だねえ

  開花の遅れていた京都は一気に春を招く陽気。女房の友人神谷五代子女史を招く為の布団と玄関脇用のカーテンを購入し、自転車で帰る川原の路、昨日私に匂い着けをして呉れた野良猫のみいちゃんが、咲き初める桜の根っこに寝そべっている。「みいちゃん、好い娘だね」と呼ぶ。「ニャーン」と返事して寝そべった儘、私を見ている。「此の爺いは昨日、匂い付けをした私の家来だ」と言いた気で在る。女房を待たせて撫でる。「本当にあんたは猫が好きだね」。「否、彼女は俺を自分の家来だ思って居るんだよ」。川堤は散歩する若きお母さんと子供、自転車を奔らす若者、年寄り夫婦の行き交いが盛んで在る。桜の花に誘われて・・・・。    4月4日 
   満開の 花に若き等 子連れ母 老いしも猫も 河原を歩む
  好い天気に誘われて醍醐寺に花見に行く。我が家からバスで5停留所目で在る。バスはお年寄りの婆さん連中で満員。その五月蝿い事、恐らく京阪電車で来られた大阪の小母はん達??「ちょっとあんた、足を其方に寄せて。降りはる人がいるから通して上げて・・・」。その五月蠅さは中国人に負けていない。「さすが、大阪の小母はんや。わいも大阪生まれやで」と変な処でお国自慢。
  彼う斯うする内に醍醐寺前バス停に到着。長い列の後ろに列んで1,500円也の寺院拝観料を支払い、婆さん爺さんや外人達に揉まれながら山内の満開の枝垂れ桜を拝観した。以前、拝観料の高額さに多少、戸惑ったが此の素晴らしい枝垂れ桜を観賞できた事、三宝院の庭や襖絵の素晴らしさ、霊宝館に居並ぶ国宝重文級の明王殿やお薬師様等々、沢山の御仏や襖画、屏風画等を見るだけでも値打ちは十分で在る。
  花に満喫の半日、斯かる大寺院が我が家からバスで10分程度の処に在るとは、嬉しい限りで在る。京都に来て好かった。

   醍醐寺の 枝垂れ桜の 垂るる花枝 路に溢れて 踏み惑ふまで
   太閤の 花見に所縁る 枝垂れ花 醍醐の桜 今盛りなれ
   桜花 居並ぶ美女らと 盃を 彩争ふ伝えて 太閤の花見


  堂塔を廻る露路、足下まで枝を垂らした満開の枝垂れ桜、其の豪快な枝振りはさすが、太閤はんが側室達を喜ばせ、天下が収まった事を内外に知らせる為に催した「醍醐の花見」と今尚、讃えられるだけの事は在る。
  太閤の花見には、面白い噺が伝わる。「北の政所、お寧さんの次に貰う盃の順番をめぐって、淀殿と松の丸殿に諍いが生じた。招待客として招かれていた前田利家の奥方、お松の方が「歳から云えば私が次ですよ」とその場を納め、「主催者でなく客が大事ですよ」と太閤の威光を傘に威張る側室達を暗に諭したと云う。さすが、信長秀吉家康の三英傑の

「都の辰巳に棲まいして・・・・」
  此の編もやっと、本格的な花の春、花*花の花盛り、「Spring has come!」と都の花盛りを讃えるに到った。筆者が京に棲み着いて初めての春である。
  「妹が名に 懸けたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや年のはに」と平城天皇は恋人を想い、赤人は「あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたれば いと恋いめやも」と待ち望んだ桜の花の咲いた喜びを詠んだ。
  「青丹よし 平城の都は 咲く花の 匂ふが如く 今盛りなり」と天平の春、平城の都の花の彩り、心浮き立つ雰囲気を「匂うが如き」と詠って、春の盛りの都の景色を讃えた。一方、平城の都のモデルと為った大唐の都長安を、「・・・銀鞍白馬渡春風 落花踏盡遊何處(・・・銀鞍の白馬春風を渡る、落花を踏み尽くして何処に行かん・・・)」と都の大道を白馬で馳せ抜ける若者達の意気揚々とした様に喩えて、「開元の治」下の大唐の繁栄振りを李白は詩に詠んだ。時代は下って

  京の都では、「春の日の うららにさして 行く舟は 棹のしづくも 花ぞ散りける」と紫式部は源氏物語で中宮つきの女房胡蝶に詠ませ、おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大なる花瓶にさしたるこそをかしけれ」と桜の切り花を清少納言は「枕草子」で大花瓶に飾らせた。大江匡房は煙立つが如く咲き乱れる桜への想いを、「高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ」と霞と桜という春の雰囲気を戦わせ、彼の妻の赤染右衛門は「いにしへの 奈良の都の 八重桜  けふ九重に にほひぬるかな 」と宮中に咲く八重桜を詠った。
  「久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」と紀友則は春の気だるさを詠み、小野小町は「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる 眺めせしまに」と其の美人振りを人々から讃えられている内に気が付けば、老いが始まっている自らを知って驚くので在る。

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醍醐の花見、枝垂れ桜
川原の群桜
Spring already has come!
        (春が来た!来た!春が来た!) 巻四
ー瓢逸白文京都はんなり歌草子ー第三輯