大徳寺大仙院の尾関老師との出遭いと聚光院拝観。
聚光院拝観予定時刻に到着が早過ぎて、時間が余ったのでお隣の塔頭、大仙院に御参りさせて頂いた。石庭が有名で在る。お土産売り場に居られた御老師(前住職)が私を見掛けて声を掛けて来た。「あんたは外人か?」。「いえ、東南アジア系ですけどね・・・」と。女房を見て曰く、「えらい別嬪さんや。そこら辺の女優さんなんか、比べもんに為らへん。奥さんを置いてあんたは一人で去に。儂の嫁はんにするから・・・」と。言われた女房は、「まあ、御冗談を言って・・・。お眼鏡は合ってますか?」と満更でもない様子。御老師のからかいに私は、「返品は認めませんよ」と締め括った。更に、会話が続いて話題が、「中国人参拝も多い」と御老師の言に対して、「その内、京都の朝の挨拶が、"ニーハオさんどすなあ”なんて事に為るかも知れませんよ」と言うと・・・。「其れ面白い。貰ろーた」と御老師はメモを採られていた。
塔頭の住職と為ると、臨済宗では「お師家」さんの筈で在る。そんな偉いお坊さん、ざっくばらんな御老師との会話に、心洗われた一日で在った。また、理由を見付けてお会いさせて頂きたい御老師で在る。後に有名な名僧「尾関宗園師で在る」事を知る。
御老師は 老妻をからかふ 別嬪や 嫁に欲たきと 大仙院の寒春
聚光院は利休の菩提寺という格の高い寺で、国立博物館から修復された国宝の襖絵が返還され、其れを記念した特別拝観で在ると云う。さすが、狩野永徳と父親の松栄の手に為る襖絵「花鳥図」、「琴棋書画図」、「竹虎図」、「瀟湘百景図」等、茶室は表千家の宗匠作の「閑隠席」や「枡床席」、庭は永徳が下絵を画いて利休が作庭した「百積の庭」が特別展観されていた。現代の画家千住博の「滝の図」が壁画として置かれる書院も見ものであった。聚光の名は長慶の居士号「聚光院殿・・・」から取られたと云う。
家に帰って女房は大仙院に眼鏡を忘れた事に気付く。「やっぱり、お前は御老師のものに為る運命なんだよ」。明後日、結婚45年記念日の昼食を「京都ホテル烏丸」の入船に予約しているので、其の時に取りに行こうかな。若し、御老師に再会出来れば好いが・・・。銘酒でも準備しておかなきゃあ?と余り、高くは無いが名が通っている酒を買って来た。 平成29年2月16日(木、晴)
春未だ来 大仙院の 菩提樹の 寒き緑葉 隠れる古門
玄関は 玄々為りし 関門と 吾に語る妻 古刹の玄門
[注:玄関は、「玄々たる関門」の意味。大仙院の方丈の玄関古門は国宝に被指定]
都の辰巳に棲まいして・・・
醍醐寺の五大力尊仁王会と鏡餅持ち上げ力比べ、女人堂
夜来の雨が上がったので、醍醐寺の仁王堂で営まれる「五大力尊祈祷会にお詣りをした。醍醐寺仁王堂のご本尊「五大力尊像」とは、不動明王(中央)、大威徳明王(西方)、軍荼利明王(南方)、降三世明王(東方)、金剛夜叉明王(北方)の五大明王の総称で、この日は入山料不要で金堂などの多くのお堂にお詣りをさせて頂ける。 醍醐寺は真言宗醍醐派の総本山で御本尊は薬師如来で在る。醍醐山麓の200万坪と言われる広い寺域に金堂を初め、仁王堂、五重塔等多くの堂塔が散らばって建立されている。金堂前には山伏等によって護摩が焚かれ、仁王堂の五大王には五大王立像に護摩が奉納され、ご祈祷が行われている。お堂の前では、力比べが行われ、女性は90キロ、男性は150キロの大鏡餅を持ち上げる。仁王堂の護摩祈祷に護摩木を一本、女房の名で奉納させて頂いた。五大仁王の御影札はインターネットで既に、申し込み済みで在る。
奥醍醐の入り口門の脇に女人堂が密かに佇んでいる。古は佛の慈悲も女性を厳しく差別し、阿弥陀世界でも女性の入りを拒否していたと云う。後に、高野山に参籠するが、高野山でも女人堂が哀しい歴史や物語を知る事に為る。
醍醐寺は我が家からバスで5停留所目の近さで、気軽に此の様な大寺院にお詣り出来る事は幸せな地に越して来たと言える。其れにしても京都には行事が多い。お詣りに忙しい。引越以来、幾つの行事に参拝させて頂いたか??しかし、死ぬまでに全ての行事にお詣り出来るだろうか???無理に決まっている。阿呆か!! 平成29年2月23日(木、曇雨)
古は 男尊女卑なり 御仏の 慈悲も厳めし 女人堂哀し
女人堂 佛の慈悲の 厳しさを 今に伝えて 奥醍醐の門
護摩の鼓や 五大明王会 醍醐寺の 参道の賑わひ 春近きを覚ゆ
恵心僧都源信和尚の千年遠忌と本願寺参拝
西本願寺で行われた歴史的宗教事件、天台宗と浄土系の宗派(浄土宗と浄土真宗、時宗等)の長年の諍いの和解??つまり、天台座主森川宏映師を導師とした恵心僧都源信和尚(1017年逝去)の千年遠忌本願寺法要に参列する機会を得た。恵心僧都源信和尚は「往生要集」を著して念仏唱道こそ、解脱を得る道で在ると説く。比叡山横川の恵心院に隠居し、念仏三昧に世を去ったと云われる。道長等貴族の帰依を受け、源氏物語にも描かれる名僧である。
筆者にとっても西本願寺は初の参拝で在る。京都新聞で昨年、報道されたが西本願寺の本堂、阿弥陀堂で源信僧都の千年忌法要が為される事を知って愉しみにしていたもので在る。
源信は「得往生、弥陀導解脱(往生を得た後、阿弥陀佛の導きで解脱(苦からの脱出)を得る)」と説き、浄土宗の開祖法然は源信の教えを発展させて「往生即、解脱(往生すれば、解脱出来る)」と更に、法然に師事して浄土真宗を開いた親鸞は師の説義を推し進めて「念仏唱道即 解脱(念仏を唱えるだけで、解脱に到る)」と説いた。つまり、「悪人も救われる」(源信)、「悪人は救われる」(法然)、「悪人こそ救われる」(親鸞)と、三名の高僧は説くと何かの書物或いは、テレビの報道番組で知った記憶が蘇った。
広い西本願寺の阿弥陀堂に念仏の唱道が響き渡る。初めて浄土真宗本願寺派の回向に立ち会う機会を得た筆者夫婦は唯々、耳を覆う念仏の声に唖然とするだけで在った。やがて念仏十念つまり、「南無阿弥陀仏」が十回唱えられ始まる。「此れなら俺も参加できるぞ」と「南無阿弥陀仏」と小さな声を出してみた。「南無阿弥陀仏」、念仏唱道を始めた恵心僧都の千年遠忌、「歴史的出来事に参加する事が出来た」と満足した午後で在った。俺の信心振りを「親父もお母んも喜んで呉れるだろうか?」。 平成29年2月14日(火、晴)
弥陀堂の 恵信僧都の 千年忌 我も唱えぬ 十念念仏
結婚記念日
結婚記念日前日。烏丸京都ホテルの入船亭で昼食祝い。其れに先立って、忘れた眼鏡を頂きに。大徳寺大仙院に立ち寄る。老師に再会出来て暫し、懇談。 平成29年2月18日(土、晴)
大仙院 早朝なれど 聞こえ来る 異語騒がしき 疾く疾く退散
結婚記念 ホテルの午膳 燗酒に ほろ酔い夫婦の 四十五年
45回目の結婚記念日。近所の大ショッピングセンターに買い物から帰宅した女房と、些細なことで喧嘩。やはり、45回目を迎えたのは奇跡に等しい。 平成29年2月19日(日、晴)
四十五年 保つは奇跡か 結婚の 記念日為れ けふも喧嘩
マスコミは相変わらず、2/13に暗殺された金正男氏の話題で賑やかで在る。 平成29年2月22日(水、晴曇)
兄殺し 豈に恐ろしき 隣国を 治むる人の 権守る心
ー瓢逸白文京都はんなり歌草子ー第二編
「あ~!京都に棲んだんだ」巻四
仏陀の掌台