馬里亜観音菩薩、「遊鵾独飄々」
「そや!京都に引っ越そう・・・・」巻二
師走の京の街を彩って駆け抜ける高校駅伝。終い天神参拝のついでに女子の部を北野白梅町前の交差点で応援した。此処は第1中継点の平野神社の少し手前で在る。テレビで見るに比べて余りに細く、華奢な選手等の懸命に走り、近づく様に思わず拍手し、「もうちょっと(中継点に近い)や、頑張れ!」と怒鳴っている自分に気が付いた。俺も若いなあ・・・。
数分歩いて北野天満宮の終い天神参拝。蕾みは大方未だ、蕾堅しの状態で在る。未だ、年も明けてないんだから、当然の事で在ろう。大福梅を頂く。正月に梅湯を頂いて、無病息災と行きましょう。
終い天神 蕾硬たけれ 紅白梅 早う花咲け 好き年与えよ
終い天神にお詣りを終えて、京都駅七条口前大通りの野党四党の代表立ち会い演説会を拝聴。市民共闘推進会議の代表、共産党穀田恵二、民主党松野頼久、自由党小沢一郎の各氏が宣伝カー上から演説する。強力な安倍政権を倒すには野党共闘が如何に重要か??が強調されていたが、次回の衆議院選挙では民主党京都府連は共産党との共闘を是としないらしい。如何に、共産党は嫌いと云えど今は主義主張は棚上げ、国会で2/3以上の議員数を誇る自民党議員数を減らす事を考えるべきで在ろう。若し、過半数を取る事が出来たら、互いに論争をするなり、第一党に政権を任せて是々非々、好き日本を作る事を考えたら如何で在ろうか??特に、泉けんた先生「お前はニタニタ笑っとるが、自民党の某氏の卑猥なエロ行為(妊娠中の妻を差し置いて他の女と交わる)による辞職が原因で議員に為ったんじゃ無いのか??自分を見直して、謙虚に為るべきだと思う。
様々の 思想も願いも 有るなれど 安らかなる老い 他に何願ふ
老人の愚痴でしか無い現実。まあ、どんな思想を持とうと自由だしね。其れにお前は医療費自己負担率1割じゃないか。其れに、税金も十分に払っていないんだから、偉そうな事は言えないんだよ。「御免!」と小さくなっていじけていようかな。
「貴志君、日本の夜明けは近いのよ!頑張りなさい」半世紀昔の或る女性活動家の発破の声が耳に響いた。「否々、そうなんや。筆者等はもう、頑張りも出来ない老人なんや。御免」と思うが、自民党の横暴や野党の不甲斐なさを見ると「日本の夜明けは更に、遠退いているんじゃないか?」。「哀しき日本!」。今日はお前の誕生日だよ。また、年取るね。12月25日(日、晴)
ー瓢逸白文の京都はんなり歌草子ー
筆者は気が変わるのが早い。其れも頻繁に気が変わる。此のHPのメイン表題を「都の辰巳に棲まいして・・・」から「そうや!京都に棲もう・・・」と換えようかな??と思い始める。JR社の「そうだ!京都に行こう」を捩ってみた。商標登録違反に問われるかも知れない。「そうだ、其の時は謝ろう。御免!」てなこっちゃ。しかし、
今年いっぱいは、「そや!京都に引っ越そう」を続けて、年が明けたら、「あ~!京都に棲んだんだ」と題名を変えて更に、喜撰法師に敬意を表して其の後、「都の辰巳に棲まいして」と、此のダイアリーエッセイの主題名に落ち着こう。
年の瀬に出遭った御庵主の声は温かかった
大晦日の夕方、青蓮院や知恩院の除夜の鐘の音を参拝させて頂こうと地下鉄に乗る。今日で平成28年も終わるが、11/30に京都市に転入して以来何度、敬老パスを利用して地下鉄や市バスを利用しただろうか??妙な事を想いながら地下鉄東西線東山駅で下車し、青蓮院や知恩院の在る神宮道を目指すして歩き始めたは好かったが、辺りの暗さに騙されて方向を見失ってしまった。折良く通りがかった御婦人に誤道を指摘されたが、そのお方が尼僧で青蓮院の年終いのお手伝いに行かれるとか・・・ご婦人否、御庵主様と会話を交わさせて頂いて何か?暖かい京の人の雰囲気に包まれたかの心地を感じさせて頂いた。
大晦日 御庵主の声 やはらかく 行く道違ふを 指し教え賜ふ
毎年の大晦日、何処かのテレビ局で放映される日本の大晦日の恒例風景とも言われる知恩院の除夜の鐘を拝聴させて頂こうと長い行列の最後尾に並んだ。さすがに日本でも一二の大きさを誇る大鐘の響きに一年の煩悩を払って貰わんとするのか?行列の人々の多さに驚かされた。然も更に、驚かせられる事実を知る。其れは耳に聞こえ来る会話が中国語系の声の何と、充満している事か?勿論、中国人だけでは無く、香港や台湾人も混じっているの在ろう。「その内に日本特に、京都は中国人に占領されてしまうのでは無いだろうか」等と考えて居ると行列が動き始め、大鐘の響きが耳に届き始めた。日本を代表する大鐘の響きで在る。其の鐘の音が東山に反響し、参拝している人々の腹に響き渡る。「今年は不幸な出来事が多かったなあ。しかし、またと無い大鐘の除夜の鐘の響きに全て、放うり出せたのでは無いか」。「来たる年は、好い年にしたいなあ」と打ち鳴らされる大鐘に手を合わせた京の大晦日の夜で在った。
忘れたき 事多かりき 此の年の 早く去れかし 除夜の鐘聴く
好き事の 多かれと祈る 来たる年 知恩院除夜の 鐘の音響く
除夜の鐘を拝聴の帰路、またまた道を失って八坂神社初詣の列に紛れ込んでしまった。「迷ってしまったよ」と言っている内に新年を迎えるカウントダウンが始まった。自然の成り行きで八坂さんの初詣をする事に為った。八坂の神様が「お前等、京都に来たんなら、俺処にも詣りに来んかい!」と言って、誘って呉れたのかも知れない??オケラ火を貰って帰宅した。「今年も宜しく寝」と眠りに就いた。早や2017年、平成丁酉(平成廿九年)で在る。結局、二年越しの八坂さん詣でだった事に為るんじゃ無いの??
道失ひ 初詣待つ列 紛れをり 八坂の神の 吾を呼賜ふ乎
”お前なあ、京都へ来たんなら早う、言うて来な、あけへんがな!”(恩師から電話を頂く)
”一年の幕が上がった”と言っても、世を捨てた老人夫婦には何も改まった事を感じない儘,姪御が贈って呉れた金粉入りの酒と京都の老舗の料理屋さんから送って頂いたおせち料理で朝から「一杯一杯復一杯」と新年を迎えた。一杯機嫌の夕方・・・。
大学の恩師、国松老師から電話を頂いた。先生とは干支一回り違いの誕生日が同じ、巳年のクリスマス、と言う事で学生時代から可愛がって頂いた。否、今も尚可愛がって呉れる。正に「出来の悪い生徒ほど、可愛い」のかも知れない?此の年に為っても老師から電話を頂いた。「お前なあ、京都へ引っ越し来たんならもっと、早う言うて来んかえ。元気に遣ってるんか??」。嬉しい京都の棲まいの始まりで在る。 12月31日~1月1日(土日、晴)
聖誕節の想い出
聖誕節とは我が生日で在る。否失礼!聖誕節は、ご存じの通り中国語でクリスマスを言い表す言葉である。先ほども少し、触れたが筆者の誕生日でも在る。
筆者の父母はクリスチャンではないので、我が家ではクリスマスケーキはバーズデイケーキだった。つまり、デコレーションケーキはクリスマスイブでなく、25日のクリスマス当日、筆者の誕生日に喰われる習慣が在った。ケーキはクリスマスイブに売れ残って値引きされたケーキ更に、お袋によって値切られたデコレーションケーキがお袋の買い物籠に納まって、我が夕食の食卓に並べられる事に為る。私も妹もクリスマスイブではケーキを食えない事には何の抵抗も無く、値引きされたケーキを誕生祝いの赤飯にお頭付きの鯛と共に、クリスマスイブの翌日、食っていた。
本来、此の日はキリストの生誕を祝い、キリストが天から地上に来下された事に感謝する日で在る。日本では此の日を祝う「清しこの夜」や「ジングルベル」が聞こえ来ると、「もう直ぐ正月が来る」という知らせの様に思える。因みに、筆者はクリスマスソング中では「ホワイトクリスマス」や「清し、この夜」が大好きで在る。クリスマスは敬虔に静かなオットリしたムードが好い。
斯くしてもう直ぐ、2017年が始まる。「そうや!京都に棲んで好かった」と言える年に為たいなあ。 2016年12月25日