項羽と彼女の出会いや馴れ初めは「史記」にも「漢書」にも書かれず、垓下の戦いの場面で初めて、"・・・常に(項羽に)従って幸きする”と又、"・・・駿馬名は騅、常に之に騎す”と記載される。劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には常に、虞美人が居て項羽は片時も彼女を放さ無かったと紹介される。
劉邦軍により垓下に追い詰められ、四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟った項羽は
力抜山兮気盖世 力は山を抜き、気は世を盖う
時不利兮騅不逝 時に利無く、騅逝かず
騅不逝兮可奈何 騅逝かずば、奈何する可し!
虞兮虞兮奈若何 虞や虞、奈何せん!
と詠って敗北を嘆き、此の項羽の詩に和して虞美人は次の歌を詠んで自刃するのである。
漢兵己略地 漢の兵は己に地{楚の国}を略し
四方楚歌声 四方に聞こえるは楚の歌声
大王意気尽 大王の意気は尽きては
賤妾何聊生 賤妾は何を聊して生きんや
その後の虞美人については、「史記」にも「漢書」にも記載されない。
また、虞美人の自殺云々については、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代から自刃話が出て来る様になったといわれ、それ以前の説では、彼女は自殺しなかったとされる。
自殺した虞美人の墓の辺には雛芥子の花が咲いたという。人々は此の雛芥子の花を「虞美人草」と呼んで薄幸の美人を傷んだという。
「屁放き爺さん美女捜しのお噺」
寝惚け旅、巻四の2
”歴史は美女によって作られる”第二篇
ー虞や虞や、奈何せんー
蔡文姫は三国志を彩る女流文学者で在る。恐らく中国史上、初の女流文学者で在ろう。匈奴に拉致され、生んだ子と別れる哀しみと、母国の漢国へ帰還できる喜びを詠った悲憤詩が有名である。「胡歌十六拍」は後人の作では在るが、涙を誘う。彼女の父、東漢末最大の大学者蔡邕は曹操の友人で在る。董卓の滅亡時の混乱の中に殺害されるが、彼には蔡琰{公元一七七~公元二三九年、東漢末から三国時代、曹操、曹丕、曹植等と共に建安文壇を彩る女流詩人。字は昭姫、後代には文姫という才媛の娘が居た。彼女は、董卓が死んで箍の外れた匈奴の騎馬兵に拉致され、匈奴の皇太子劉豹に側室として売られ、胡地に十二年留まって劉豹との間に二子を儲ける。
二、蔡文姫 「胡歌十八拍」
ー南に飛す雁に託す望郷の想いー
架空の美女貂蝉に代わって登場するのは実在した項羽の愛姫・虞美人である。項羽は漢の高祖・劉邦と共に楚王を担いで秦王朝を滅ぼし其の後、配流先の漢中から攻め上って来た劉邦と天下を戦って敗れる豪傑で、其の愛姫・虞美人は垓下に包囲された陣中で最後の酒宴を催して意気消沈する項羽を力付け、項羽の手足まといに為る事を嫌って自ら、自刃する。京劇「覇王別姫」の最期のクライマックス場面は観客の涙を誘う場面である。
「虞美人」{?~公元前二〇二年}は 、項羽(項籍)の愛人で項羽と最期を共にする美人である。「漢書・陳勝項籍傳」には、"美人有り、姓は虞氏}”、「史記・項羽本紀」には、"美人有り、名は虞}”と載る。「美人」という文言は後宮の官職名とも或いは、其の容姿を表現したものともいわれる。小説やテレビドラマでは項羽の妻として描かれ、虞を姓とし「虞姫」と紹介されているものが多い。
三、虞美人 「雛芥子の花」
蔡邕の後継者がいない事を惜しんだ曹操が身代金として千金{金千両、一九・五Kg}と多くの珠璧白玉を支払って彼女を買い戻し、戦乱で焼失した蔡邕の四千余の蔵書の内、彼女が暗記していた数百冊を復元させ、歴史書「続漢書」を完成させる。彼女を買い戻す為に曹操は、匈奴との国境線に軍を配置し、千金に加えて璧玉珍珠など多くの財宝を準備したと伝わる。
蔡文姫は、幼少から鼓琴を好くして或る夜、父が弾く琴の弦が切れた。彼女は"切れたのは第二弦でしょう”と中てたと云う。父が別の弦を切った処、"第四弦を切りましたね”と。父は"偶然に中ったんだろう”と言うと彼女は、"呉札{戦国の名将呉起の事}は風を観て興亡する国を知り、師曠{晋の楽師で好く音を聞き分けた}は律を吹いて南風が吹くことを識り、"風には競う事能わず”と言ったと申します。此に由って言うに、何して知らないと云うのですか。”と彼女は答えたと云う。
又、曹操に買い戻されて漢に帰還した彼女は屯田都尉の董祀に嫁す。夫董祀が罪を犯して死罪に為る処を曹操に直訴したが、其の弁舌を聴いた人々は皆涙したと伝わる。曹操は董祀の罪を許して失われた蔡邕の蔵書の復刻を命じた処、彼女は紙を所望して失われた蔵書四千巻余の内、暗唱していた数百巻を草書体{現代の楷書体}で書き上げ、曹操に献上したと伝えられる。彼女の才能を知った曹操は正史「続漢書」の編集主幹に彼女を抜擢した。
金星には蔡文姫の名が付けられたクレーター (Cai Wenji、蔡文姫) がある。彼女も歴史を彩る美女の一人で在る。
北朝鮮に多くの拉致された人々を取り戻さんとする我が国も、曹操を真似て"ケチな事を云わず、硬軟織り交ぜて相手の度肝を抜く程の支援をちらつかせて交渉に臨む可きで在る”と思うのは無責任な爺さんの独り言で在ろうか。