「屁放き爺さん美女捜しのお噺」

  中国の長い歴史の中でも一際、輝きを放った美女。正史には記されないが、人々の心に今も尚、生き続ける美女。其の名は「西施」。中国人は「西子」と呼ぶ。此のHPでは「中国の古の美女で在った」事に敬意を表して「西子」と呼ぶ事にする。中国四大美人の筆頭として挙げられる彼女は、今を去る事二千五百年の昔、春秋時代末期に活躍をした美女と伝えられる。戦争に敗れた祖国越を救う為、敵国呉の君主夫差に敗北の標として献上され、其の美貌と類い稀な媚態で呉王を籠絡し、長い呉越戦争を祖国の勝利を招くのである。

  彼女の最期も闇の中に路を捜す様で様々に取り沙汰される。大金持ちの奥方に為って幸せな最期を飾ったとも、役目を終えて故郷に帰ったが、王妃の嫉妬で殺されたとか、或いは、王を籠絡されて滅ぼされた呉国の人々の恨みを買って長江に投げ捨てられたとか・・・・。長江の河口付近に採れる蛤は彼女の舌で在るとも・・・。
  美女西子の舌なら、筆者為らずとも、男なら誰でも舐めたくなるのでは・・・・。(いやらしいね!お前は)
また、川で洗濯をする彼女の姿に魚たちは見とれて泳ぐことすら忘れてしまったと言われ、沈魚美人」の異名も与えられる。

  「日月は百代の仮借にして、行き交ふ月日もまた、旅人也」と始まる芭蕉翁の旅日記「奥の細道」に、"松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し”と象潟の印象が詠み込まれる。「憾む」と云うのは・・・?字源を引く。"もの足らず思ふ”、"うらむ”と載る。「もの足らず」とは"言い尽くす事が出来ない”という意味で"何となく頼り無い”という事で在ろうか。否、"すっきりとしない”、"何か、不満が残る”と云う意味に採りたい。"松島はすっきりと明るく、象潟は何となく不満或いは、恨みを残す様で在る”・・・

  翁には此の記述に先立って「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と、美女西子の美しさを合歓の花に譬えて古の美女を讃え偲ぶ。
  芭蕉翁にとって古の絶世の美女、何処か悲劇的な雰囲気を漂わせる西子女史は、"何となく不満を残して何処かて此の世を憾む様で在る”と感じさせたの在ろうか?其の想いが景勝地「象潟」に喩えたくなり、其処に降る細雨に濡れて咲く合歓の花のしっとりさ、潤む目と云いたいのであろうか?如何にも清楚な、頼り無さ気に花がしっとりと濡れる風情が西施だと云うので在る。

西湖に佇む我が愛しの西施

  「西施の嚬に倣う」とか、胸を病んでいて其の痛みで眉を顰めた。其の様が何とも言えない魅惑的であった。とか・・・・民間の伝承の中に今も、其の美が語られ続けるのである。

   「情人の眼の里は西施に出る」という諺が在る。つまり、”恋する眼には誰もが西施の様な美人に映る”という意味で、筆者の某女史に対する想いを巧く、表現する。

「寝惚け旅」巻一の2”その名は西施”巻2
(bijyoboke1-1.html) へのリンク

”松島は笑ふが如く、象潟は憾(うら)むが如し”

寝惚け旅、巻一

「合歓」の花言葉は「歓喜」で、中国では夫婦円満の象徴とされる。合歓の花には、「合昏」や「夜合」等という艶めかしい漢字も当てられる事がある。夏に咲く淡いピンク色、小糠雨に濡れる細い毛の様な花先が芭蕉翁には美女「西施」を想わせたのかも知れない。

ー二千五百年もの間否、今も尚男共を魅惑し続ける女ー

”その名は「西子」”