くわな鋳物とは

三重県鋳物工業協同組合 鋳物の街くわな くわな鋳物 玉重橋から諸戸氏庭園を望む

慶長六年(1601年)、徳川四天王の一人に数えられた本多忠勝公が、 伊勢国桑名藩十万石の初代藩主となりました。 「くわな鋳物」は忠勝公からの 鉄砲の製造の命をうけ、藩の奨励策のもとで、本格的な、 生産が始まったと 言われています。

江戸時代、桑名には朝廷より鋳物製造を許可された、三軒の「御鋳物師」(おんいもじ) が存在していたと伝わっています。 「勢州桑名に過ぎたるものは銅の鳥居・・・・」と里謡に歌われたという 春日神社の青銅鋳物の鳥居は、高さ約7m、幅約6mで、その堂々たる威容は、 旅人の目を驚かせたと伝えられています。

この鳥居は、寛文七年(1667年) 当時の藩主松平家重公の命を受け、御鋳物師 辻内善右衛門尉藤原種次により 鋳造されたもので、桑名の名物として今も昔を物語ります。

他にも、神社仏閣の灯籠、梵鐘、鍋釜類、農機具が、「くわな鋳物」で作られました。

長い歴史と伝統に育まれたくわな鋳物は、脈々と現代に受け継がれ、最先端の鋳造技術、鋳造設備を駆使して、高品質の鋳物が 日夜生産されています。