「閑叔白文の著作、研究の原則。」

  歴史を知る場合、如何なる分野や原典にも古今東西、沢山の偉い先生方が様々な翻訳や研究をされているし、様々な好き勝手な意見を述べておられる。誰もその時代に生きていた訳ではないので、想像に頼る以外に知る手立ては無いのである。ひっきょう、好き勝手な論評に到る。素人が歴史を知ろうとする時、どの先生の本を参考にすれば好いのか?どの本を読めば好いのか?悩みの種となる。一つの歴史的事実を知ろうとするにしても、先生の考え方や属する思想立場によって様々な見方が生まれる。真理は一つである筈なのにである。どの先生の意見、どの書物にも一理あって、どれが真理を述べているのか素人の我々には悩みの種と為る所である。それなら、其の事実に関する全ての研究書を読めば好い。しかし、厖大な文章を読むには、厖大な時間と労力が必要である。専門的に研究されている方なら、いざ知らず、市井の一老人の私には時間はあるがそんな厖大な文章を全て、読破する熱意と理解するだけの頭脳は残念ながら、持ち合わせていない。

  詩や短歌は耳で聴き、口で詠う文学である。韻律、所謂リズムが大切である。柿本人麻呂の有名な歌「東の野に・・・」の歌の中の「東」を「ひんがし」と読ませたり、「二月」を「にんがつ」と詠ませるのは三十一文字の韻律を守る為であろう。漢詩を日本語読みで聴くとどうしても、男性的な固い、理屈っぽい、内容だけを追いかけただけの詩に為ってしまう。李白の酔っ払った雰囲気が感じられないのである。"「ああ、そうか!」の歌は駄目よ。”と昔、東井富子という私が短歌を師事した歌人は好く、教えて呉れた。日本語読みの漢詩は「ああ、そうか。」的に感じられて仕方がない。漢詩を中国語で聴くと耳に優しい。日本語で詠む場合の理屈っぽい、固い調子とは程遠い柔らかさがある。今伝えられている漢詩はどれも名作であろうが、日本語に翻訳された場合、内容のみの観賞に為ってしまって「聴く」、「詠う」雰囲気から醸し出される情緒が完全に失われ、詠まれた雰囲気迄もが損なわれている様に思えるのである。又、平仄が合っていない等と理屈を捏ねるが本来、話し言葉の場合は原則に囚われない事が多い。
  「此の詩は平仄が無視された、素人の詠んだ間違いだらけの詩だ。」と或る先生に酷評された事がある。私の詩は下手だと思う。しかし、「中国語で詠んでみて下さい。」と言ったら、彼の先生は「私は中国語は出来ない。昔、学生時代に無理矢理、詠まされた一度だけが生涯に漢詩を詠んだ唯一の経験だ。」とおっしゃられた。其れを聞いて漢詩の権威、石川忠久先生が中国語で漢詩を読まれていたのをテレビで見た事が思い出された。「中国語で読む事も出来ず、漢詩も一度しか読んだことも無いのに好く、漢詩を教えられるなあ。」と逆に感心させられ、白けてしまった。
  漢詩に限らず、詩歌は其の詠まれている原語で観賞するのが正しい。と思う。中国の詩や文章を内容を掴む為に「返り点、」や「数字で先読み、後読み」をするのは翻訳作業で、読むという作業では無いと思うが如何でしょうか?

ちょっと偉そうに、素人おじさんの 堅苦しい発想。

自吹自擂詩五篇 手舞足踏画五片
秋天清亮意飄々 假日下午毛筆軽
         白文詩集より

1,原典に帰ろうや!

  「彼の偉い先生がおっしゃっているのだから間違いはないだろう。」此の言葉は好く聴かれる言葉である。しかし、とんでもない落とし穴が控えている可能性がある。例えば、「三国志」に纏わる多くの小説には、魏の曹操は悪逆非道で冷徹、目的の為には手段を選ばない悪魔の様な帝王と描かれる。其れに対抗する劉備や孔明は正義の味方であり、人民が心から崇拝し、部下も何一つ疑う事無く、死をも懼れず付き従ったと描かれる。しかし、現実を見ると、悪魔が当時の中国十州の内六州を支配下に置いていた。正義の味方、人民の崇拝者は辺境の一州に割拠するだけである。更に、劉備の家来の関羽や張飛、趙雲は誰も対等に戦う事が出来ない豪傑と描かれている。中でも圧巻は劉備軍の軍師・諸葛孔明である。先を見通し尽くす能力を持ち、敵の将軍や軍師が神を畏れる如く彼を懼れ、味方の将や兵士は畏敬し、人民は彼の統治を待ち望む。彼が立てる軍略は万に一つの落ち度は無かったとされる。正に神の如き存在でる。本当で在ろうか?神様が率いる国家が辺境の一地方に割拠せざるを得ず、悪魔の帝王が先進地域、中原を占める。何故だろう?
  自己紹介にも少し、触れたが、此の疑問が筆者を「三国志」に駆り立てる事に為ったのである。調べる内にとんでもない事実が見付かった。南宋時代{約八百年昔}に朱子学の祖である朱熹という偉い儒学者が「曹操簒漢」説(曹操が漢の国家を乗っ取った。)を唱えて劉備の建てた蜀漢王朝を漢王朝の正統な後継国と認定し、曹操の魏王朝を偽りの国家、政権簒奪国家と定義して千年も続いていた三国志観を一変させた。其れまでは魏王朝が漢王朝の正統な後継者とする学説が認められていたし、曹操も正当な評価を与えられていた。その後の王朝で朱子学が国家支配の基本理念と認められるに従い又、民衆の判官贔屓による悲劇の軍師、孔明崇拝と相まって劉備、孔明=正義の味方、曹操=悪魔の帝王と三国志観が一変する。此の朱熹の説に則って著された六百年程前の明代の小説「三国演義」が世に出るに及んで朱熹の曹操悪魔説が従来の定説を完全に覆して今の三国志観に至るのである。残念ながら、我が国の殆どの「三国志」小説は「三国演義」に則った描き方が為されている。
  此の様に、権威故に盲目的に信じられてきた学説には時として、大きな錯誤のある事が屡々発見される。素人の発想かも知れないが、権威ある学説も一度、頭を白紙にして、其の学説が生まれた時代背景も加味して読み直す必要があると思うのである。

2007年6月朔
在遊蜘窟・閑叔亭

表紙「閑叔白文の”孔明夜咄」書屋
へようこそ!」
のページに戻る。

2,権威に頼るのは止めましょう!

3,漢詩は、原語で詠むべし!原語で聴くべし!

  其処で筆者は一つの考え方を守っている。「原典に帰ろうや!」を原則にしているのである。翻訳文や研究書は翻訳者や研究者の眼鏡を通した文章である.原典から得た独自の解釈が自分には一番似合うし又、自分の考え方を持つ事が必要であろう。しかし、自分独自の考え方を他人に押し付けてはいけないとも思う。自分の考え方も、他人から見た場合は色眼鏡を通した考え方である。色々の考え方が有って科学の進歩があるのである。他人の考え方を拝聴するとあっ、こんな解釈も成り立つんだと新しい発見に発展する可能性が生まれるし、他人の考え方も客観的に取り入れる事も出来る。只、偉い先生のご意見に無条件に同意せず、正しく把握する事が大切だと言いたいだけである。先ずは、自分を創って他人を受け入れるという事かも知れない。
  まあ、焦らずぼちぼち、頑張りましょう!

江水遡遇夏口娘 欲得慕情遙来遠
一褥両枕鄙客舎 酔酒抱汝忘家郷
          白文題
 

  まあ、色々団子理屈を捏ねましたが、
素人の勝手な言い草だから、この辺で止めておきましょう!