昔、約四十年前に為るが、東大寺の元別当・故清水公照師に書を習っていて毎日曜日を大仏殿に過ごした事がある。「東大寺大仏殿、昭和の大改修」で名を全国に馳せた公照老師も当時は、別当職や執事長という要職に就任する前で大仏殿の主管の職に在ってのんびりと、大仏殿の大回廊の一区画をアトリエにして筆を振り回しておられた。
  書を習うと言っても、お手本を書いて頂いて家で稽古をして日曜日の午前中、師の自坊、東大寺の塔頭の一つ宝厳院にお邪魔をして清書したものを添削して頂く。お昼は御家族と一緒に、もてなしを受けて午後は大仏殿の回廊アトリエで墨摺りや紙切り、筆を洗ったりして師の書を書くお手伝いをさせて頂く。此が筆者の毎週の週課であった。
  お手本の文が「千字文」であった。楷書で書かれている。師は好く言われた事がある。"楷書をしっかり稽古しておけば、急いで書くと勝手に行書や草書に為る。無理に崩し方を練習しなくても好い。”と。
 

「閏餘りて歳を成す」上巻

   "何事にも拘りを棄てよ。”という師の教えを表す一言であるが、「千字文」には関係は無い。お手本の「千字文」は十一冊から為る字帖として残されている。字帖の第一冊目には"気張らず、焦らず、只其の儘に、縦横チョンチョンツーと筆を運んで行きましょう。毎日半紙五枚、其れでいい、其れで十分。”とひらがなで書かれた師の讚がある。私は此の字帖を「縦横チョンチョンツー千字文」と名付けて宝物にしている。

  千字文は四字一句、全て異なる千字で構成される。四字一句は習字のお手本にはうってつけで半紙に四字上手く収まる。"昔の人は大したものだなあ。しかし、当時の中国にも習字と云うものがあったんだろうか。”と変な事を感心したものである。只、惜しむらくは其の頃は字の上達ばかりに頭が回って、中身の吟味迄は思いも浮かばなかった。毎夜、「天地玄黄 宇宙洪荒・・・・。」と部屋を墨で汚してお袋様に叱られただけであった。
  その後可成りの時間を経て、中国語の会話を学び、三国志に興味を抱き始めてふと、千字文を思い出した。"そや、千字文を一度、中国語で声に出して読んでみよう。”ついでに何が書かれているのか、詳しく内容も知っておこうと思い立った。辞書と検眼鏡を片手に読み始めた。なかなか味わいの深い、中身の濃い文章である。天地創造から始まって天体の運行、地の恵み、人事、歴史、自然果ては修身、日常活動に及ぶ人類の今在る全てが織り込まれた厖大な人勢が込められた文章である。古典から引き出された字句が至る所に散りばめられている。

  "えらい事を決意してしもうたわい。”と後悔したがまあ、遣ってみようや、と気を取り直して翻訳を始めた。幸い、中国に行った時に見付けた中国高等院校古籍整理研究工作委員会によって編纂された「中国古代教育文献叢書」の中に「千字文」が有ったのを思い出した。此を捜し出して参考に無事、注釈書が出来上がった。筆者のフィーリング史学から編み出された考え方も所々に「筆者按」欄を設けて挿入した。此でやっと完成されたのである。

「千字文」注釈 ー周興嗣撰ー 

附、「閏餘りて歳を成す」下巻

「龍師火帝」

エッセー「千字文の想い出」