「屁放き爺さん昔〜しのお噺」
時代は下って「平成の御代」に戻る。「平成遣唐使」を自称する文伯眉つまり、筆者は訪中する毎に上海の老舗店街「福州路」を彷徨い、古書舗では掘り出し古書を捜し求めて押し合い圧し合いする老人達の混雑に揉まれ乍ら、大書舗ではエスカレーターを上っては立ち読み(坐り読み?)の少年達を掻き分け、芸術専門書舗の書棚の前に立ってはボランテイアーの本捜し手伝い小父さん達??と会話をしながらと言っても、通じて居るのやら?通じて居ないのやら?・・・まあ、適当に喋り、頷いて手に入れた絵画集や墨跡輯を、古書や珍書を、現代中国語に翻訳された古典文学を・・・等々々々、"鞄をズッシリと重くして・・・”と言う大袈裟な表現がピッタリと当て嵌まる様な、書籍がいっぱい詰め込まれた重い鞄を引き摺って日本と中国を往復する中国東方航空のエアバスに乗り込むのである。上海浦東国際空港から雲上二時間余りの「ブックロード」を青島ビールを飲み乍ら、中部国際空港に帰り着いて"ホッ”と一口気・・・・。
「遙霞書房」と名付けた我が屋の二階の十畳二間の我が大書斎床一面に買い来た書籍類や画集を広げ、翻訳と云えば聞こえが好いが検眼鏡と中日辞書を頼りに文字を必死に追いかけて頁を捲る。"我が此の「文籍」漁りの様は宛ら、千三百年昔の奈良時代の人々が中国の先進文化を持参したシルク織りや唐王朝から賜った貴重な錫(し)賚(らい)をも費やして得た知識で「長安の如き文化都市を建設しよう」という夢を叶えんとした意いに通じる”と己の行為を自ら、讃えては手舞足踏(有頂天)に為っているのである。
巻二の3
”シルクロードとブックロード”第三篇
一九八〇年四月に中国揚州へ里帰りした鑑真さん否、天平芸術の最高傑作で在る唐招提寺の脱活乾漆造の鑑真和上像は多くの中国の人々に感銘を与え、鑑真さんが中国に居た時に住師をされて居られた揚州の大明寺に安坐された尊像は、千三百年昔の鑑真和上の在りし姿を人々に偲ばせた。また、日本の古の造仏技術の高さを中国の人々を驚かせた。
毎朝、営まれた鑑真像への法要には、"沢山の市民が早朝にも関わらず参列して呉れた”と唐招提寺の森本孝順長老と共に鑑真さんの里帰りに同行された東大寺の前別当清水公照師は語られた。
更に、二〇一二年の十一月に「平城遷都千三百年」を記念して中国に里帰りした東大寺の鑑真和上像{唐招提寺の鑑真像を写した江戸享保年間の木彫、重要文化財}も大明寺で市民の大歓迎を受けたと伝えられる。千三百年ぶりの鑑真さんの二度の里帰りは日中両国の文化交流路、「シルクロードとブックロード」に大輪の華花を咲かせ今尚、両国の文化の興隆を知らせるのである。
ー鑑真さん千二百年振りの里帰りー
ー平成遣唐老師ほろ酔い気分の帰国ー
絲調之路と文籍路 シルクロードとブックロード
絲調之路文籍道 シルクロードとブックロード
唐瀛情濃遙海深 大唐東瀛の交友、海の深さ
開文華都花錦賚 華咲く都を開かん倭錦と錫賚
千春一覚揚州夢 千春一覚高僧(鑑真)揚州の夢
老舗巷鬧飄廬街 老舗巷の鬧しさ、上海の街
懐裡文鞄帰路重 胸に抱きし書鞄の帰路に重し
二千十三年冬十月朔
于飄雲丘遙霞書房
斯くして、胸を躍らせては「シルクロード」を一っ飛びして「上海触れ合い街歩き」を美女と楽しみ、老舗文籍ロードを彷徨いて得た鞄いっぱいの文籍を抱かえて「ブックロード」をほろ酔い気分で還って来る。此が「平成遣唐使・文伯眉」つまり、自称「久米の謫仙」の再来、白文老師の"唐土「文籍買い出し」ツアー”の旅を終えるので在る。
最後に筆者が詠んだ下手な詩を一首・・・。