筆者は機会を見付けては中国を旅する。其の機会も理矢理に作る感の無きにしも非ずで在る。大阪の都島という正に、「大阪のオバハン」が幅を効かせる下町で、岸和田生まれの「大阪のオバハン」そのものの母の元で少年期を過ごした経験や、人見知りをしない性格が中国のゴチャゴチャした余り、清潔な・・・とは言い難い街並みや喧噪、路地を行き来する人の多さが筆者を使(し)て、少年期に育った街並みを懐かしく思い出させて「中国触れ合い街歩き」の旅に出掛け様という想いを沸き立たせ、訪中せねば為らない理由が無理矢理、造り出されて旅の計画が立てさせられるのである。
  「中国触れ合い街歩き」を楽しむ舞台は何処の街とは限らないが上海が多い。我が家から中国に入るには上海浦東(プートン)国際空港に中国での第一歩を標さねば為らない。中部国際空港から来た人々は此処で入国審査を終え、飛機搭乗チェックインの時に預けた鞄を貰って税関検閲を通り抜けて中国国内航空に乗り換える。或いはリニアモーターカー(磁気浮車)や地下鉄、タクシー、出迎えの車やマイクロバスで市内に移動して火車(ホーチャー){汽車}や公共汽車(コンゴンチーチャー){乗り合い長距離バス}に乗り換えて中国の各地に向かう。或る人は市内のホテルに中国旅行の初夜を過ごし、帰国の際には中国各地から此の空港に戻って来て「出国」という印字をパスポートに押して貰ってそれぞれの棲まいに帰るのである。
  当然、行き帰りに立ち寄らなければ為らない上海が安心感と親しみを覚える身近な街となる。地下鉄網が完備されていて何処に行くにしても手軽に行けるし、「適当に」という一句を必ず頭に付けなければ為らないが、中国の他の街に比べると清掃が行き届いている小綺麗な街並みや、適当に衛生的な餐店、中国のファッション界をリードするブテイックが立ち並ぶ遊歩道や、摩天楼を想わせる高層ビル、超高層の塔の景観は外国人に限らず中国人にとっても憧れの街で在る。

  筆者は此の無理矢理、作った中国渡航の機会を利用して上海の老舗マーケットロード「福州路(フーチョウルー)」を彷徨っては、何軒かある古書舗で「一斤(五百グラム)当たり18人民幣(レンミンビー)(円貨240円前後)で売られている目方売りの古書や、「特折」と朱字で書かれた大安売りの古典古書を手に入れる。古書とは云え、新書同然の現代中国語で書かれて句読点を附された古典の原書が多い。古書舗の大机には、人々が弄(いじ)くり返す為に乱雑に・・・としか言い様(よう)の無い積み上げられ方をされた沢山の古書を引っ繰り返しては気に入った或いは、珍しい古書を見付け出すのは楽しい重労働である。又、或る時には七階建ての大書舗のエスカレーターを昇り、現代中国語に翻訳?された古典や絵画集を立ち読みしては購い、芸術専門店では歴史に名を残す名筆家や現代の秀筆家達の画集や墨蹟輯(ぼくせきしゅう)等が並べられた書棚から気に入った書籍を引っ張り出すのである。斯くして手に入れた古書や新書、画集等々が詰め込まれて、"鞄いっぱいに・・・”と言うと少し大袈裟であるが、ずっしりと重くなった鞄を引き摺って日本に帰るのである。筆者は、此の中国書籍の買い出しツアーを「平成遣唐使の唐土ツアー」と名付けて外国人が独りで見知らぬ街を彷徨(うろつ)く事を心配して呉れる美女の親切心?友人達の友情?を他所(よそ)事に、「上海触れ合い街歩き」を楽しむのである。
  勿論、福州路には本屋さんの他にも様々なお店が立ち並ぶ。芸術品としか呼べない高価な値札を付けられ、様々な細工を施された端渓水坑や歙州(きゅうしゅう)の龍尾(りゅうび)石と呼ばれる硯石の名品をショウウインドウに並べて筆者の物欲を誘惑する硯専門店、蘇州や湖州、杭州等で様々な動物の毛を材料にして作られる唐筆や、「黄山松煙(こうざんしょうえん)」や「鉄齊翁(てっさいおう)書画宝墨」と金書きされた高価な唐墨を置く店、安徽省の宣城(せんじょう)や涇(けい)県で漉(こ)された画仙紙や竹の繊維を主原料にした福建省産の唐紙等を狭いお店のカウンターの奥に堆く積み上げる紙屋さん等々、「文籍老舗街」とでも名付けたい福州路の街並みである。
  「天蟾(テイエンチェン)京劇中心(センター)逸夫舞台(イーフーウータイ)」と名付けられた京劇専門劇場も「福州路」の一角を彩る名所である。因みに天蟾の「蟾」は"ヒキガエル”という意味で"月にはヒキガエルが棲む”という中国の伝説から「天蟾」は「月」や「嫦娥(じょうが)」(月に棲む仙女)を表す。此の劇場は「天蟾舞台」という名で一九一六年に開場され、芥川龍之介や谷崎潤一郎等も此の劇場で京劇を観劇したとか。其の後、彼方此方と移築を繰り返して現在は九二八座席を持つ上海京劇院の主要舞台の一つとして此処、福州路に京劇や昆劇ファンを集める。中国の京劇に限らず伝統芸能に興味を持つ筆者は、上海に宿泊する毎に此の劇場の一等席で京劇を鑑賞する事にしている。そう言えば切符売りの老娘(ラオニヤン)(小母さん)は「李軍(リーチン)」という男優のファンだと親指を立てて頷き乍ら、二百八十元の一等席の票(入場券)を差し出した。李軍は国家一級演員と称される上海京劇院の人気男優で、筆者もその素晴らしい張りのあるバリトンの声に魅せられた。上海京劇院には李軍の他にも「史敏(シービン)」という人気女優もいるが、彼女のソプラノは残念乍ら、聴く機会にも観る機会にも恵まれない。上海以外の京劇院のプリマドンナや名優が客演する事も多い。台湾や香港からも名花が来演する事がある。兎に角、京劇ファンの老人達に混じって西太后も愛好したという京劇鑑賞が出来る事も上海滞在の楽しみの一つでもある。
  福州路や南京東路から近く、地下鉄等の交通にも便利だという理由で何時も利用するホテル「王宝和(ワンバオホ)大酒店」から歩いて五分程の処に在る「人民広場」には有名な上海博物館が在る。上海の徒然を見付けては中国古典美術の鑑賞に半日か一日を費やす事にしている。入場料が無料で在る事も嬉しい。

  遙かな昔、遣唐使の時代、文化に飢えていた日本人はシルクを持って荒海を渡り、長安の都で書籍や知識を仕入れて荒海に浮かんで、「咲く花の匂うが如き奈良の都」を開いた。此の様を中国の某学者は日本から中国へ「絲調之路(シルクロード)」を渡り、「文籍之道(ブックロード」を海に浮かんで帰還した”と表現した。此の古人と同じ気分で筆者も・・・・・・。
  斯くして、"鞄をズッシリと重くして・・・”と言う大袈裟な表現がピッタリと当て嵌まる様な、書籍がいっぱい詰め込まれた重い鞄を引き摺って日本と中国を往復する中国東方航空のエアバスに乗り込んで、雲上二時間余りの「ブックロード」を青島ビールを飲み乍ら、中部国際空港に帰り着いて"ホッ”と一口気。「唐土文籍買い出しツアー」が終わるのである。
  胸を躍らせて「シルクロード」を一っ飛びし、「上海触れ合い街歩き」を楽しみ、老舗文籍ロードを彷徨いて得た鞄いっぱいの文籍を抱かえて「ブックロード」をほろ酔い気分で還って来る。此が「平成遣唐使・文伯眉」つまり、久米の謫仙・白文老師の"唐土「文籍買い出し」ツアー”である。

  注、「平成遣唐使・文伯眉」:古の時代、渡唐した日本人は彼の地では中国名を名乗った。例えば、阿部仲麻呂は「晁衡(チャオヘン)」小野妹子は「蘇因高(スーインガオ)」、養老の遣唐大使の丹治比県守は「英問(インウエン)」と名乗った。最近、西安で発見された日本人らしい陵墓に印されていた「井真成(ジンヂェンチェン)」の日本名や誰を指すのか?が不明で在るが、当時渡航した遣唐使節の人々は此の様に、中国名を名乗った。
  筆者も此の事実を真似て、中国では「文伯眉」と勝手に名乗る事にしている。

「上海の老舗街を彷徨う」ー完ー

表紙「閑叔白文の”孔明夜咄」書屋
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「放屁老師のエッセー」巻2

「中国触れ合い街歩き」

「放屁老師のエッセー」巻2は、「中国触れ合い街歩き」と題して筆者が中国旅行で経験した楽しい思い出や面白い失敗談を追々と紹介しようと思っている。
どうか、お付き合い頂きたい。

上海の老舗街を彷徨う

「琴を弾く美女」