「京の都は桜が好く似合う」。京都に引っ越して来て三年経った筆者の去年{平成三十一年}の花見で思い付いた一言で在る。「たった三年で、何言うてはるんえ?」と京女の姐さん方に嘲笑われそうで在る。去年{平成末年}の春、ご先祖天皇御陵へ退位のご挨拶の為に上洛され、仙洞御所に宿泊された平成天皇、現上皇ご夫妻が京都御苑の糸桜の下を散歩為さって大勢の桜見物の方々と楽しそうに話されているご様子をテレビニュースに見た。桜の似合う京の街、京都御苑の近衛邸跡の枝垂れ糸桜更に、天皇皇后両陛下{当時}のリラックスされるお姿景色を筆者は、「春の京宴、都の朝景色」と題させて頂いた。
  「京の春を愉しもう」否、桜見物だけに限っても毎年、上洛される人々は何百万に及ぶに違いない。日本の彼方此方から来られる方々に限らず、欧米東洋、世界の彼方此方から来られる観光客、「何語だろうか?」と理解出来ない言語や中国語が京の街に溢れる。「桜の花も大勢の人息を吸わされてさぞかし、迷惑だろうなあ」は京女の姐さん方に嘲笑われている俄京都人の爺さんの愚痴で在る。
  ところが、「京の花が覚える迷惑」は去年までの事で、今年{令和二年}は大きく違う風景を醸し出した。昨年末、中国武漢に発生した新型コロナウイルス「COVIT一九」の世界的蔓延が観光客を京の花から消した。京都だけに限らず、日本の桜の名所の風景は京都の其れと大同小異で在ろう。お陰で、俄京都人の筆者夫妻は人々に押され揉まれることも無く、中国語の喧騒に患わされる事も無く、バス中で欧米人に席を譲られることも無く静かに満開の桜を満喫する事が出来た。「此の様な静かな桜見物はもう、無いだろうなあ」と新型コロナの怖さも忘れて谷崎潤一郎の「細雪」に描かれる平安神宮の神苑の花の下の散歩や池端のお茶屋でお花見善哉を愉しませて頂いた。

  大将軍神社の境内には、信長の命によって重要な街道の一里塚として植えられたという大榎木が聳え立っていたので在ろうか?上部を切り去られた太い幹が当時の繁茂を想像させる。大榎木の幹の他、大銀杏が二本聳え立つ。三条通から少し、街中に入るからで在ろうか?街中にも拘わらず静かな境内に舞楽舞台や拝殿が玉垣に守られて鎮座する。祭神は素戔嗚尊と藤原兼家である。
  大将軍神社から三条通を街中に向かって進む。いつものこの時期為れば観光客特に、外人で満ち溢れる三条通或いは、三条通に交差する都大路は人影が絶えたと言っても過言で無い状況を呈する。三条大通りを室町まで西下し、室町通りを南下する。旧明倫小学校の芸術センターにも人影は全く消え果て、ふれあい市場も開催されていなかった。瓢斗という芸術センター北隣りのしゃぶしゃぶ屋さんの若竹煮、鰊と茄子の煮付けと出汁巻きたまごの三種の弁当おかずを買って帰る。家でお赤飯の夕餉を愉しむ為で在る。
  人影の絶えた都大路を実際にこの眼で観、実際に歩いてみると京の都も次第にゴーストダウン化している事をヒシヒシと感じる。
  此の事実に比べて、山科川の堤防の人通りの多さは如何で在ろう。人々が家に籠もって居る、隠れてコロナ騒ぎの通り過ぎるのを避けているという事が判る。しかし、都の大通りから人影が消えるという事は社会活動、経済活動が為されず、生産活動が無くなるという事で在る。という事は富を生み出す力が消える。富の再分配、流通が無くなる。食い物が消え去る。特に、日本は食糧自国供給が40%を切って居る状況で多くの食糧や他の資源を海外に頼っていることを考えた場合、恐ろしい事に為るのでは無いだろうか?と爺さんの愚痴が出た。
  コロナ禍に 人影疎らの 京の花 
      暫し怖さを 忘れて見上ぐ

  散歩人 疎らに花影 池の面に 
    映るも哀し 疫病(エヤミ)の都
  京の都、平安京は四神が鎮座する都城で在る。つまり、大内裏の北方玄武は船岡山に、東方青龍は鴨川、南方朱雀の巨椋池、西方白虎は山陰道に象徴される四神に護られる。桓武帝は其れでも足りなかったか?四つの大将軍社を四方に鎮座させて大内裏を護持させた。北方は今宮神社境内に、西は大将軍八神社、南方は藤森神社境内に置かれ、東方は東三条大将軍社で在る。しかし今、流行している未知のコロナ疫病は地球規模で人々を恐怖に陥らせ勿論、日本も多くの死者を輩出している。四神や大将軍社に護持されている筈の京の都もご多分に漏れず、ヴィールスが闊歩して都大路から人々を立ち去らせた。
  余り、家に籠もって居ても仕方がない」と思って女房と散歩に出掛ける事にした。東山三条で地下鉄を降りて三条通を上り、「大将軍神社」に詣でた。前記した東方を護る逢い将軍神社で在る。此の近くには、中の関白藤原兼家の広壮な東三条第が清涼殿造りと清水を沸き出す池を備えていたが、保元の乱と応仁文明の乱で焼失したという。「蜻蛉日記」の作者右大将道綱の母は九人居た兼家の妻で才色兼備で後世に讃えられる。また、一帯は東三条の森或いは、鵺の森と呼ばれ、源三位頼政の鵺退治伝説も生み出された。

  因みに、鵺とは頭は猿、胴は狸、手足は虎で尾は蛇という怪獣で、気味の悪い声で鳴くという。実際はツグミ科のとらつぐみを当時の都の人々は、「ヒーヒャー」という気味の悪い鳴き声を畏れた。
16世紀タペストリー「トロイの王子」
  人疎ら 都大路を 彷徨ひぬ
     疫病覆よふ 怖ろしき都を
京都はんなり歌草子 2020年の巻
コロナヴィールスに毒された都の春
人影絶えた神苑の花池に善哉を喰う
旧近衛邸の糸桜
人影の絶えた都大路を歩く