五臓六腑解釈史

〜 五臓六腑は空理空論か 〜

2001.6.6.改訂版
三重大学東洋医学研究会  部長 松尾 皇
目次

(1)紀元前の中国(前漢まで)
(2)11世紀の中国(北宋)
(3)18世紀の日本(江戸時代) 〜 日本医学史のターニングポイント 〜
(4)19世紀以降の日本と中国
(5)五臓六腑解釈史から学ぶべきこと
<参考:現代日本における東洋医学の流派>
   参考文献

(1)紀元前の中国(前漢まで)

 『黄帝内経霊枢(れいすう)』には人が死んだ時は「解剖して之を視るべし」(経水篇)とありますので、臓腑の名称は解剖学的知識に基づいていると考えられます。ただ、機能的な構成単位をさすだけの言葉であったのか、形態的な構成単位としての意味を同時に含んでいたのか、は解釈の別れるところです。
 『黄帝内経素問(そもん)』には五臓の部位について「肝は左に生じ、肺は右に蔵し、心は表をすべ、腎は裏を治め、脾はこれが使となる」(刺法論篇)とあり、これが五行説(ごぎょうせつ)の方位に対応するだけで同名の解剖学的臓器の位置とは余りに懸け離れていることを考えますと、元々、機能的な構成単位を指すだけの言葉であったと捉えた方が良さそうな気がします。

(2)11世紀の中国(北宋)

 けれど、この素問の条文を、「解剖学的臓器の位置を指すもの」だと捉える人が次第に増えていってしまった結果、北宋(約1000年後)になって、解剖が盛んに行われるようになった時、五臓六腑を臓器の名称に強引に対応させた解剖図が描かれてしまい、間違った解釈が固定化されることになったようなのです。1045年に描かれたこの解剖図は世界最古の解剖図であり、「欧希範(おうきはん)五臓図」といいます。原書は散逸し、日本の医書「頓医抄(とんいしょう)」に引用されるのみです。この頃の解剖図は、観察技術の未熟のため、多くの誤りを含んでいましたが、このことが後世になって五臓六腑自体の信用の失墜につながってくるのです。

(3)18世紀の日本(江戸時代)〜 日本医学史のターニングポイント 〜

最初に、五臓六腑を明快に否定した人物が、古方派最大の巨人と言われる吉益東洞(よしますとうどう)(1702〜1773)です。「古方派」は江戸時代に登場した日本漢方の流派で、「徹底した経験主義」と「シンプルな処方構成で切れ味の鋭い方剤の使用」を特徴としますが、この傾向を確立させた人物が吉益東洞であると言われます。当時、大流行した梅毒を初めとした感染症に対し、それまでの主流であった「後世派」は無力そのものでした。後世派の診断は観念的で患者から学ぶ姿勢になかった上、用いる方剤が「処方構成の複雑な作用のマイルドな方剤」ばかりだったからです。また、後世派の用いる方剤は高価で庶民には手の届かないものでした。現状を憂いた吉益は、後世派を激しく批判し、安価で効果的な方剤を採用した上で、あらゆる観念を排して実証主義に基づいた医療を行うことにより、感染症治療で大きな成果をあげました(その一方で過激すぎる攻撃療法のために慢性疾患の患者を殺してしまったという話もありますが)。社会的地位の高かった後世派を否定した彼の手法は、当初社会に認められませんでしたが、1765年『類聚方(るいじゅほう)』を発刊(執筆は1751年)、多数の門下生を集めることとなりました。この類聚方において彼は、陰陽五行説を排除すると共に、「五臓六腑は空理空論である」と唱えて臓腑論を否定しました。これは、自分の目で見たこともない「五臓六腑」を規定して医療に応用するのは、実証主義に反していると考えたからでしょう。けれど、五臓六腑を解剖学的単位と考える誤解が遠因になっているようにも思われます。
吉益とは違う立場から五臓六腑を否定したのが、古方派のもう一人の巨人、山脇東洋(やまわきとうよう)(1705〜1762)です。彼は、日本で最初に解剖を行い(1754年)、解剖書「蔵志(ぞうし)」(1759年)を出版しました。彼も五臓六腑を解剖学的単位と誤解していたため、解剖の経験によって臓腑論を明快に否定するようになったようです。

(4)19世紀以降の日本と中国

 さて、臓腑論の否定は、自前の基礎医学の完全放棄を意味するため、臓腑論を捨てた漢方医達のその後は、当然ながら、次の4つのいずれかになります。
  1. 漢方を否定し、実証主義に裏付けられた医学体系である西洋医学へと移行する。
  2. 「治ればいいんだ!」と言い切って、経験のみに基づいた医療を続ける。
  3. 漢方処方を西洋医学の言葉で説明していくことで、漢方の臨床成果の維持と実証主義との両立を目指す(西洋医学の一部となる)。
  4. 臓腑論を復活させて、臨床に活かせるような基礎医学へと再編成する(西洋医学と対当な立場を獲得する)。
1番を選択したのが「山脇に続く系譜」です。すなわち、漢方や伝統医学そのものへの不信感を高めていって、蘭学へと傾斜、明治初期の西洋医学の導入に積極的な役割を果たしました。杉田玄白、前野良沢もこの系譜の医師です。
それに対して、2番を選択した「吉益に続く系譜」は、現代の日本漢方の主流へと続く系譜であり、現代に至るまで日本漢方が臓腑論を軽視する傾向を定着させました。しかし、当然ながら、「漢方医は科学的基礎がない」という批判は免れず、昭和になって「臨床成果の積極的アピール」によって漢方復興を果たした後も、重い問題として残りました。現在は、2番と3番の併存ないし移行状態にあるようです。  本場中国に目を転じてみましょう。中国でも、五臓六腑は誤解され続け、清代に西洋医学が導入された後は、「伝統医学は非科学的」というレッテルを貼られ、いったん衰退しました。しかし、毛沢東が1950年に「中西医(ちゅうせいい)結合宣言」をしてから、一転、国家の保護を受けるようになり、五臓六腑の誤解が、初めて是正され、臓腑論を中核とする中医学理論の体系化がスタートしたのです。70年代末頃(多分)には統一教科書が作られました。
 1972年の日中国交回復に伴い、両国の伝統医学は互いに影響を与え合うようになりました。1970年代には、中医学に影響を受けた若手医師の一部が中医学派を標榜するようになりましたが、これは先ほどの選択肢で言えば、4番を選択したと言える訳です。
 現在は、五臓六腑の誤解自体は、日本の全ての漢方医の中で解消されていますが、いったん捨ててしまった臓腑論を取り戻すことのできない古方派と、臓腑論を重視する中医学派との間の対立は、全く解消されないでいます。

(5)五臓六腑解釈史から学ぶべきこと

 五臓六腑解釈史を理解することで、今の漢方界のはらむ3つの問題が見えてきます。それを以下にあげて、この稿を締めくくりたいと思います。
 1つ目は、日本の多くの一般の人々が、五臓六腑を誤った解剖学的認識によるものだと誤解し続けており、そのことが、漢方自体に胡散臭さを感じる大きな原因の1つになっているということ。歴史の教科書に乗っている解体新書のエピソードは、日本の医学が西洋医学を採用する要因の1つとなった重要な事件ではありますが、その背景にある杉田玄白らの黄帝内経への認識不足については全く触れられていません。東洋医学界が世間の誤解を解く努力を全くしていないことも問題であるかもしれません。
 2つ目は、日本漢方には学問としての発展性に限界があるということです。臓腑論の放棄は自前の生理学・病理学の放棄であり、人体をブラックボックスにしてしまうことを意味します。また、本来、臓腑論は慢性疾患治療の中心になるものであり、臓腑論を捨ててしまうと、感染症の診断法で慢性疾患に臨まなくてはならなくなる結果、診断術の体系が、直感的に理解しがたい混乱したものになります。名医に弟子入りして学べるなら別ですが、教科書的に学ぶには無理があり、医学教育への導入は困難です。西洋医学の一部になっていくことも一つの手ではありますが、アトピーやリウマチなど一部の疾患の治療手段に過ぎなくなって、生体をネットワークとして捉える、漢方の総合医療としての旨味が失われる恐れがあります。
 3つ目は、日本の東洋医学界における日本漢方派と中医学派の対立問題です。日本漢方の側は、臨床成果に自信があることもあって、長年続いてきた伝統を変えられないでいます。後から出てきた中医学よりもたくさんの患者を治してきたし、これからも同じだ、と考えています。中医学を、臨床経験が浅いし観念的であると侮っています。他方、中医学の側はと言うと、日本漢方よりも正確で理論的な診断ができると自信をもっています。また、体系的であるので、医学教育にも導入していけるはずだと思っています。日本漢方を、使う述語の定義が曖昧で理論も体系的でなく学問としての発展性がないと侮っています。両者とも、お互いの主張や立場を知りながら敢えて無視して互いを否定し合っているのが現状であり、日本の東洋医学界の大きな障害となっています。

<参考:現代日本における東洋医学の流派>

 ◎日本漢方派

  ・後世派(ごせいは)…
  ・古方派…
  ・折衷派…

◎ 中医学派

…1950年の毛沢東の「中西医(ちゅうせいい)結合宣言」以降、中華人民共和国において、中国伝統医学は、西洋医学と対等のものと位置付けられており、「中医学」と呼ばれている。「中医学理論に基づいた医学体系」の実現を目指し、徹底した古典の解釈と国家規模の臨床実験により、混乱した理論の整理・体系化を行っている。1970年代に、当時の日本の若手医師の一部が、古方派中心で理論的でない日本漢方への不満から中医学派を標榜。後に、日本漢方派の医師の一部も合流した。本場中国の中医学の特色の一つに、処方薬量が、日本漢方派の処方の3倍以上もの多量であることがあげられるが、日本の中医学派では、薬量の多い流派と少ない流派とがある。

参考文献

・医学の歴史(中公新書)
・三千年の知恵 中国医学のひみつ(ブルーバックス)
・漢方薬は効くか?(朝日文庫)
・新入生のための漢方入門テキスト(赭弁会)
・対比で学ぶ漢方入門(たにぐち書店)
・黄帝内経概論(東洋学術出版社)
・中国医書ダイジェスト(医道の日本社)
・中医学入門(医歯薬出版)
・現代語訳黄帝内経素問(東洋学術出版社)
・現代語訳黄帝内経霊枢(東洋学術出版社)